2007-02-01から1ヶ月間の記事一覧

詞のみにもあらず、よろづのしわざにも、かたゐなかには、いにしへざまの、みやびたることの、のこれるたぐひ多し

「詞のみにもあらず、よろづのしわざにも、かたゐなかには、いにしへざまの、みやびたることの、のこれるたぐひ多し、さるを例のなまさかしき心ある者の、立まじりては、かへりてをこがましくおぼえて、あらたむるから、いづこにも、やうやうにふるき事のう…

F・カプラ

「ブーツストラップの哲学は、物質の基礎的構成要素という考え方を放棄するだけではなく、どんな根元的な実在−基本的な定数、法則、あるいは方程式−も受け入れない。かわって、宇宙は相互に関係した出来事のダイナミックな織物だと見なされる。そして、この…

モーリス・ブランショ

「作家は一冊の書物を書く。だが、書物はまだ作品ではない。作品は、作品を通して、作品に固有なある始まりの烈しさのうちに、存在するという語が発言されるとき、はじめて作品なのだ。つまり、作品が、それを書く人と読む人との内的なつながりである場合に…

ロラン・バルト

「その第一の傾向によれば、分析は、世界中のあらゆる物語に対して、言うまでもなく 形式的な一個の物語モデル、「物語の構造」ないし「物語の文法」を確立しようとつと め、(ひとたびそれが見出されたら)個々の具体的な物語は、それに対する編差の観点 か…

石原千秋

「自分なりの小説の読み方を自覚的に把握するために、小説から取り出した物語を、一つの主語とそれに対応する熟語一つから成る一つの文に要約する練習をしておくといい。」 石原千秋『大学受験のための小説講義』

ウンベルト・エーコ

「……禅問答で禅師が人生の意味について訪ねられて、杖を持ち上げて答えるとき、解釈者は異常な含意を嗅ぎ取る。その解釈項の鍵は既に存在する枠(フレーム)の外にあるのだ。……彼の(仕草による)答えがまだコード化されていないひとつの―そして恐らく一つ以…

ロラン・バルト

「テクストに対しては、全然形容詞的でない、これだという評価を下せない。更に言えば、私にとってはこれだということだ。この《私にとって》は、主観的でも、実存的でもなく、ニーチェ的だ《……実際、いつも同じ質問だ。これは私にとってなんであるか……》」 …

ロラン・バルト

「『テクスト』は『織物』という意味だ。しかし、これまで、この織物は常に生産物として、背後に意味(真実)が多かれ少なかれ隠れて存在するヴェールとして考えられてきたけれど、われわれは、今、織物の中に、不断の編み合わせを通してテクストが作られ、…

東浩紀 テクスト=手紙の一部が行方不明になったり、 他の手紙と混同されたりする可能性

「テクストはつねに完結せず、開かれている。これはクリステヴァやエーコを参照するまでもなくありふれた認識だが、デリダが優れているのは、[…]彼がそれをネットワークの不完全性の問題から考えた点にある。そこではテクストの「開放性」は間テクスト空間…

著作権法

「公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない。」 著作権法第32条

展示は博物館と公衆との間に、対話を生じさせる

「展示は博物館と公衆との間に、対話を生じさせるものである。解説はこの対話を発展させ、普及啓発は展示と解説を補完しあうものである。」ジョルジュ・アンリ・リビエール

博物館が成功するかしないかは、一体何に依存している

「博物館が成功するかしないかは、一体何に依存しているのであろうか。それは建築物でもなく、展示ケースでもない。ましてや標本資料でもない。それは学芸員に依っているのである。学芸員とそのスタッフは、博物館にとって生命であり、魂である」ウィリアム…

柳田國男

「私がこの本の中で力を入れて説きたいと思ふ一つの点は、日本人の死後の観念、即ち霊は永久にこの国土のうちに留まつて、さう遠方へは行つてしまはないといふ信仰が、恐らくは世の始めから、少なくとも今日まで、可なり根強くまだ持ち続けられて居るといふ…

柳田國男

「どこの国の国民でも皆なめいめい特別の不可思議を持っている。<中略>それは皆な違った特色を持っておって、これらを研究していったならば一面に国々の国民の歴史を研究することができるであろうと思う。」 柳田國男「幽冥談」

柳田國男

「今日もな おひんぱんに各地の農村を歩いている、いな歩かされているが、この本にかいて あるような現実がいつとはなしに消えてゆきつつあることも思わせられる。やが て、これに記されていることも、まるっきりといっていい位見失われてしまう時 も来るか…

柳田國男

「行ずりの採集では好伝承者の会逅さへ僥幸に期待せねばならないが、たとへ滞在採集の場合に好伝承者を探しあてたとしても、先方を煩はす気兼や方言の障碍があって、充分な聞出しといふものは殆んど得られるものではない。爰に新しき学問の勘所を心得た郷土…

柳田國男

「出来るものならば、いつまでも此国に居たい。さうして一つの文化のもう少し美しく開展し、一つの学問のもう少し世の中に寄与するようになることを、どこかささやかな丘の上からでも、見守って居たいものだと思ふ。」 柳田國男「魂の行くへ」

折口信夫

「一口に言へば、先生の学問は、「神」を目的として る。日本の神の研究は、先生の学問に著手された最初の目的であり、」 折口信夫「先生の学問」

柳田國男

「社會科の初期の課程は、今と昔との差異、今ある事物の原因は必ず以前に在り、それも大部分は人間の選擇で、さうはならずにすむ場合もたしかにあつたのだといふことを、次々と自分で心づかせて、それを將來の政治行動、殊に年々の選擧の判斷に役立たせるや…

柳田國男

「これからの国語教育は、読み書きの教育に偏らず、まず聞き方から始めるべきとし、話す力をつけさせる方向で、教える者も教えられる者と共々に更に多くを学ぼうという心掛けが必要」 柳田國男(『國語の將來』「國語史の目的と方法」『西は何方』)

柳田國男

「民俗学を現代科学の一つにしなければならぬ」 柳田國男「現代科学と言うこと」昭21.9講演

柳田國男

「村は住む人のほんの僅かな気持から、美しくもまづくもなるものだといふことを、考えるやうな機會が私には多かった。」 柳田國男 昭和15年「美しき村」(『豆の葉と太陽』所収)

柳田國男

「ローマ字論者のまだ考えておらぬ軟らかなG、長崎をNangasakiなどと書くngは、学者によってなおいろいろな表音法を採用しているが、必ずしも言葉の中ほどにある場合のみでなく、また他の母音にも伴のうて、弘く大平洋の各地に行われている。これなども日光…

柳田國男

「社會科の初期の課程は、今と昔との差異、今ある事物の原因は必ず以前に在り、それも大部分は人間の選擇で、さうはならずにすむ場合もたしかにあつたのだといふことを、次々と自分で心づかせて、それを將來の政治行動、殊に年々の選擧の判斷に役立たせるや…

ジュリア・クリステヴァ

「今日では、テクストは科学、社会、政治をつらぬく手直しの作業が行われる――実践され、提示される領土となっている。文学のテクストは今日では、言説としての、科学、イデオロギー、政治の表面を突き抜けて、それらをつきあわせ、広げ、鋳直すことを目指し…

ジュリア・クリステヴァ

「小説の言表は小説という生産物全体の内部でつなぎ止められるのである。だから、小説の言表を研究すれば、まず、それらの累計額ができあがるだろうし、第二段階では、それら言表の小説外的由来を探究することが目標となろう。その段階になって初めて、小説…

ジュリア・クリステヴァ

「記号学の問題の一つは、旧来の修辞学的なジャンル区分をテクストの類型学で置き換えることにある。言い換えれば、テクストのさまざまな組織を、これら組織の一部をなしていると同時に、これら組織も今度は逆にその一部になってもいる一般的テクスト(文化…