2008-05-01から1ヶ月間の記事一覧

自分が自分になること

「自分が自分になることはむづかしい。しかしほんとうに大切なのはそれだけだ。ひとりの人間にもひとつの文化にも。」 中村光夫

全世界が魂の家

「魂にとつては西洋も東洋もない。西洋といひ東洋といふものは魂の外衣である。全世界が魂の家だ。」 ロマン・ロラン

輸入と国産化のドラマの一例である

「確かに西田(幾多郎)は、西洋からもたらされた新奇な学としての哲学に身を投じた。国民国家の成立とともに輸入され蔓延したロマン主義に侵されて自我を肥大させ、一生を誤った。その誤謬を貫くために母国語と戦い、期せずして独自の哲学をなした。それは明…

何處までも醜なるものが芸術の対象となるのである。

エリオットを引き、美とは伝統に支えられた規範的形體にすぎないという。「我々が通常、美と感ずるのは規範的形體と云う如きものであらう。併し抽象作用的衝動の立場に於いては、何處までも醜なるものが芸術の対象となるのである。」 西田幾太郎「歴史的形成…

一服のお茶をすすろうではないか。

「一服のお茶をすすろうではないか。午後の陽光は竹林を照らし、泉はよろこびに泡立ち、松藾はわが茶釜にきこえる。はかないことを夢み、美しくおろかしいことへの想いに耽ろうではないか。」 岡倉天心『茶の本』(桶谷秀昭訳)

BOB MARLEY 「THREE LITTLE BIRDS」

“'CAUSE EVERY LITTLE THING GONNA BE ALL RIGHT ”BOB MARLEY 「THREE LITTLE BIRDS」

ベンヤミンの考える廃品 歴史のイメージ

「現実をもっとも目だたずに定着しているもののなかに、いわば現実の廃品のなかに、歴史のイメージをしっかりととらえる試み」 ベンヤミン 1935.8.9付けショーレム宛書簡

福田和也 私は長い間−

「私は、長い間日本の批評文を読まないでいた。」 福田和也「放哉の道、虚子の道と道」『日本人の目玉』

もともと文芸評論風なものは、我が国にも早くからあった

「…評論は、明治期に入ってから…実際作品と表裏し一体化して力学的に時代の文学を形成していくようになった。もともと文芸評論風なものは、わが国にも早くからあったのであって『古今和歌集』(905)の紀貫之の序文は歌論の萌芽といわれているし、『源氏物語』…

中塚一碧桜 岡山玉島の詩人

「我は島の王の心や落葉踏む 死期明らかなり山茶花の咲き誇る 墓所近み堤太しや夕時雨」 中塚一碧桜 河東碧梧桐が明治42年11月5日但馬城崎で出会った岡山玉島の詩人

朝はモルヒネを飲んで蝦夷菊を寫生した。

「此ごろは モルヒネを飲んでから 寫生をやるのが 何よりもの楽しみとなつて居る。 けふは相變らずの雨天に 頭がもやもやしてたまらん。 朝はモルヒネを飲んで 蝦夷菊を寫生した。」正岡子規『病牀六尺』

人は遂に死なねばならぬ…これ程たよりない残酷な淋しいことはない

「例へば、人は遂に死なねばならぬ運命にある。これ程たよりない残酷な淋しいことはない。(中略)私の父が呼吸を引取る前にランプの光を見つめたことを覺えてをる。さうして私はランプの芯を出して、その光を出來るだけ大きくしたことを覺えてをる。ゲーテが…

全人生を一瞬の光景として切り取ってしまうという残酷

「文芸作品、特に短詩形や、小説でも短編は、全人生を一瞬の光景として切り取ってしまうという残酷を冒さざるを得ない。」 福田和也『南部の慰安』文藝春秋 H10 p.34

本当に勝ち抜く奴は…誰を愛しても、誰に愛されてもいけない。

「本当に勝ち抜く奴は、生まれたときからいかなる意味でも祝福されたことのない奴でなければならない。誰を愛しても、誰に愛されてもいけない。」 色川武大「快晴の男」

私は何となく良心の苦痛に堪へられぬやうな氣がした。

「小説家ゾラはドレフュー事件について正義を叫んだ爲め國外に亡命したではないか。然しわたしは世の文學者と共に何も言はなかつた。私は何となく良心の苦痛に堪へられぬやうな氣がした。わたしは自ら文學者たる事について甚しき羞恥を感じた。以来わたしは…

横はつてゐる妙な形をしたものの正體が掴めなかつた

「月の光と云ふものは雪が積もつたと同じに、いろいろのものを燐のやうな色で一様に塗り潰してしまふので、滋幹も最初の一刹那は、そこの地上に横はつてゐる妙な形をしたものの正體が掴めなかつたのであるが、瞳を凝らしてゐるうちに、それが若い女の屍骸の…

幸いにも「変な奴」はいない。

「−私はS町で円タクを捨てると、覚悟を決め、市電に乗った。 成るべく隅の方へ腰を下ろして、膝の上に両手を置いた。それから気付かれないように電車の中を一通り見渡してみた。幸いにも「変な奴」はいない。私の隣りでは銀行員らしい洋服が「東京朝日」を読…

我々は…生きることに就て知る

「我々は生きることで生きることに就て知る」 吉田健一『覚書』

いつもハングリーで、いつも不幸だった。

「私はまだ最高の域に達することができないので、いつもハングリーで、いつも不幸だった。今でも努力しているが、努力すればするほど誇れるものなど何もないと感じるのだ。」 Ravi Shankar 1999 The Sound Of India,1968

メロディとリズムが描く、色彩を完成させる 演奏だけを、

「同時に、ここにつけ加えて言わせていただきたいことがあります。それは、私はいまだ各所で行われているあの機械的な、拍子のうわずった、ばらばらに切り刻んだ思い上がった演奏、つかみ損ないの演奏は、できるだけ拒否したいとねがっていることです。ただ…