2011-06-01から1ヶ月間の記事一覧

ヴィトゲンシュタイン「われらの生に終わりはない。」

「われらの生に 終わりはない。 われらの視野に 限りはないのと同じように」ウィトゲンシュタイン(山元一郎訳) 『論理哲学論』中央公論社

ルソーは言う「我々は二度生まれる」

「言うならば、 我々は二度生まれるのである。 一度は存在するために、 もう一度は生きるために。」ジャン=ジャック・ルソー 『エミール』(1762)

柳田さんが亡くなる前、呼ばれて三度ほど行ってるよ

「柳田さんが亡くなる前、向うから呼ばれて三度ほど録音機を持って行ってるよ。つまりあの人は、なにか晩年気になったことがあったらしい。というのは道徳問題だよ。日本人の道徳観、それを言い残しておきたかったんだよね。」小林秀雄 大岡昇平との対談「文…

肉体にもそれ特有の饒舌があるにちがいない。

「肉体にも、 固有の論理と、 ひょっとすると 固有の思考があるかもしれない。 造形美と無言だけが 肉体の特質ではなく、 肉体にも それ特有の饒舌が あるにちがいない。」三島由紀夫 『太陽と鉄』

子供時代は、もう無いbyフロイト

「子供時代は、 そのものとしては、 もう無い」ジークムント・フロイト 『夢判断』

その希望が一つ一つ裏切られてゆくような状況裡

「絶望を語ることはたやすい。 しかし希望を語ることは危険である。 わけてもその希望が 一つ一つ裏切られてゆくような状況裡に、 たえず希望を語ることは 後世に対して、 自尊心と羞恥心を賭けることだ と言ってもよい。」三島由紀夫 「『道徳的革命』の論…

昭和のナショナリズムがわたしをついに包み切ることなく

「昭和のナショナリズムが わたしのような者をも ついに包み切ることなく、 明治のナショナリズムが 北のようなラディカルな青年をまで ついに包み切ったという事実は、 わたしを今さらながら驚かせる。」村上一郎 『北一輝論』三一書房 p.9

ああわが国日本…「日本を去る歌」より

「ああ わが国日本 ああ わが父祖の国日本 日蓮を生みし国 秀吉を生みし国 わが渇仰の古き友業平を生みし国 ああわれ遂に去らざるべからず さらば、さらば、さらば」与謝野鉄幹 「日本を去る歌」

スピノザは超越的な視点を想像的なものとして否定する

「…私はスピノザを別な意味で考えたいと思います。 スピノザは超越的な視点を想像的なものとして否定する。 しかし、それは内在的なシステムがすべてだということではない。 私たちの共通の友人である柄谷行人の強調するように、 われわれは、システムの中に…

フクロウは黄昏時に飛ぶ、とヘーゲルは言っています。

「ミネルヴァのフクロウは黄昏時に飛ぶ、 とヘーゲルは言っています。 何かを理解すること、 それも、それまでの過程の必然的結果として目的論的に理解することは、 それを終わったあとから見ることなのです。 しかし、それは観念論的な倒錯ではないか。 本…

フクロウは夜になるとはじめて飛び立つ。

「フクロウは 夜になるとはじめて 飛び立つ。 その時代が 終わった後で はじめて飛ぶのだ。」スラヴォイ・ジジェク 『イデオロギーの崇高な対象』河出書房新社 2000 p.98

できるのは適当に引用しリミックスして消費することだけ

「文化に関するかぎり、すべてのパターンはすでに出つくしており、われわれにできるのは、それを適当に引用しリミックスして消費することだけだ。そうやって、いわばすべてを記録したテープが際限なくリプレイされているのを眺めている現代人の姿は、むしろ…

国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、

「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法か、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一…

彼らは、脅かされない安全な立場から発言している

「ポスト構造主義者たちはやたら熱心に、 すべてのテクストは ―彼ら自身のテクストも含めて― 根本的両義性に囚われており、 相互テクスト的過程の「偏在」に溢れている、 と強調するが、そのなかに、 頑固な否定(フロイト的な意味でのVerneinung)の 兆候を認…

「愛国心」はこの世でもっとも美しい「徳」だ

「「愛国心」は この世でもっとも美しい 「徳」だ 子を守るため 命をかけるのは 動物も同じだが 国の誇りのため 命をかける事が 家族を守る事に つながると考えるのは 「人間の気高さ」だけだ 狂信者とはまったく違う心」荒木飛呂彦『スティール・ボール・ラ…

ジジェクは言う。現実はすでに「イデオロギー的」なのだ

「もし人が 「よく知っている」ようになり、 社会的現実の真の機能を見抜いたならば、 この現実は霧散してしまう。 おそらくこれが 「イデオロギー」の基本的次元である。 イデオロギーはたんなる「誤った意識」、 つまり現実の幻覚的表象ではなく、 その現…

女にとって優雅であることは、美の代用をなす

「女にとって 優雅であることは、 立派に美の代用をなすものである。 なぜなら男が憧れるのは、 裏長屋の美女よりも、 それほど美しくなくても、 優雅な女のほうであるから。」三島由紀夫 『美徳のよろめき』

われわれはここに固執しなくてはならない。

「われわれが 今でも負っているのは、 ポツダム宣言の受諾から生ずる 義務である。 この義務を遂行するために われわれの作った新しい憲法こそ、 われわれの責任に属している。 われわれはここに 固執しなくてはならない。」和辻哲郎「われわれの立場」『埋…

ぼく最近ニーチェを読み返して感じたのだけど、

「ぼく最近ニーチェを読み返して感じたのだけど、ニーチェが古代ギリシャの神々を信じたのと、本居宣長が古代の神々を信じたのと、一脈共通するものがあるんだ。それは決して狂信的なものじゃない。彼等の合理精神がいきつくところ、そうなるんだ。だから、…

この世には幸福の特権がないように、不幸の特権もないの。

「この世には 幸福の特権がないように、 不幸の特権もないの。 悲劇もなければ、 天才もいません。 あなたの確信と夢の根拠は 全部不合理なんです。」安永透に対し慶子が断言する三島由紀夫 『天人五衰』

誰一人『選ばれて』なんか生まれて来はしない

「誰一人 人間は 『選ばれて』 なんかこの世に 生まれて来はしない」主人公の安永透に対し慶子がこう断言する三島由紀夫 『天人五衰』

「真夏の死」は「イワン・イリッチの死」に似ている

「最初に手にしたのが、 「太陽と鉄」のような 何やらちょっとうんざりさせられるところのあるものではなく、 信じがたいほど才気あふれる短編 「真夏の死」だったのは、 幸運だったと思う。 いまでも覚えているが、 それはレフ・トルストイの最良の短編 「…

三島作品のベストワンは。梅原猛「海と夕焼」

3 三島作品のベストワンは。(ごく簡単にその理由も)「「海と夕焼」 三島はやはり短編の名人だと思います。この作品には三島の深い悲しみが出ていて、いやらしいところがまったくありません。私はこの作品がいちばん好きです。」梅原猛アンケート 三島由紀夫…

三島作品のベストワンは。『サド候爵夫人』井上ひさし

3 三島作品のベストワンは。(ごく簡単にその理由も)「『サド候爵夫人』は、その完璧完璧なまでに空虚な構造、噴飯物寸前のみごとな台詞修辞法によって、二十世紀の世界劇文学を代表するに足る一作である。」井上ひさしアンケート 三島由紀夫と私新潮11月臨時…

三島作品のベストワンは。『太陽と鉄』である。

3 三島作品のベストワンは。(ごく簡単にその理由も)「『太陽と鉄』である。つまり「告白と批評との中間形態」である。私は、多くの人が、小説に替えて、こういう文章の領域を開拓することを望んでいる。」秋山駿アンケート 三島由紀夫と私新潮11月臨時増刊 …

もともと「藩」ということばは、垣根という意味

「もともと「藩」ということばは、 まがき=垣根という意味をもち、 中国では藩屏・藩鎮などという用例で、 王室を守護する諸侯を指すものであった。 そのことばを 幕府と大名の関係にあてはめたのは、 江戸も元禄になったころ、 新井白石の著述に始まるよう…

「春琴抄」の佐助は、奇禍にあつた春琴の顔を見まい。

「「春琴抄」の佐助は、 奇禍にあつた春琴の顔を見まい。 また春琴も 佐助にだけは見られることを怖れてゐたゆゑに、 佐助は自ら眼に針を突き刺して 盲人となつた。」角川源義「解説」谷崎潤一郎『春琴抄』角川文庫 昭和29年