日本批評

ジュネは同性愛的なたましいの構造を極限まで分析しつくした

「小説(『ブレストの乱暴者』)はジュネらしいみごとな文体の音楽をもって書かれ、 彼の作品のなかでもとりわけすっきりした構成をもっている。 神話的な構成といってもいい。 ジュネは、この小説で、 神話的な手法を使って、 同性愛的なたましいの構造という…

私も読んでいて眼に清水の沁み込むのを覚えた。

大菩薩峠について「私があの中で一番好きなのは竜之介の殺人剣を表面へ現わさずに、 雰囲気を以って出しているところ、たとえば甲府の辻斬のくだりで、 霧の深い夜に米友が出会う場面、塩尻峠の三人の武士との立ち廻りで、 その立ち廻りを描かずに峠の茶屋へ…

正義とは行動を評価するために使用することばである

「正義とは、 行動がなされたあとで、 それを評価するために 使用することばである。 われわれにとって重要なのは、 正義よりも出来事であり、 出来事のなかで 生きることである。 それは、 出来事のなかで、 原因の立場に身を置くことだ。」船木亨 『メルロ…

"Amid Shortages, a Surplus of Hope" By RYU MURAKAMI

「全てを失った日本が得たものは、 希望だ。 大地震と津波は、 私たちの仲間と資源を根こそぎ 奪っていった。 だが、 富に心を奪われていた我々のなかに 希望の種を植え付けた。 だから私は信じていく。」村上龍 「危機的状況の中の希望」NYTimesへの寄稿Tim…

歴史小説は百年来絶えず論議されているが、

「歴史小説は 百年来絶えず論議されているが、 体系的な研究は 案外少なく、 ハンガリーの哲学者、 文学史家ジェルジ・ルカーチ 『歴史小説論』(一九三七年)ぐらいしかない。」大岡昇平 『歴史小説論』冒頭書き出し 岩波書店 1990 ブログ内検索Amazon最安値…

わたしの信仰はどこへ消えたのか。

「…死後一○年を経た○七年九月、 テレサの個人書簡の内容が書籍となって公開され、 世界に衝撃を与えた。 「Come Be My light」と題されたその本のなかには、 晩年のテレサの心情が吐露されている。 残念ながらまだ日本では未翻訳なので、 この本を紹介した「…

日本には「能ぎらい」と称する人が多い。否。多い処の騒ぎでなく、

「日本には「能ぎらい」と称する人が多い。否。多い処の騒ぎでなく、現在日本の大衆の百人中九十九人までは「能ぎらい」もしくは能に対して理解をもたない人々であるらしい。 ところがこの能ぎらいの人々について考えてみると能の性質がよくわかる。 目下日…

「勉、つとめるというのは、自己の力を出し尽し、

「勉、 つとめるというのは、 自己の力を出し尽し、 目的を達成するまでは どこまでも続ける という意味合いを含んだ 文字である」橋本左内(伴五十嗣郎・全訳註) 『啓発録』 講談社、P42 ブログ内検索Amazon最安値でセンスの光る古本屋【ふぃでりお書店】…

当然の道はすべて実行するのである吉田松陰

「人間が 生まれつき持っているところの 良心の命令、 道理上かくせねばならぬ という当為当然の道、 それは すべて 実行するのである」吉田松陰(近藤啓吾 全訳注)『講孟箚記(上)』講談社、P32 ブログ内検索Amazon最安値でセンスの光る古本屋【ふぃでりお…

死は観念である、生は想像である、

「死は 観念である、 と私は書いた。 これに対して 生は何であるか。 生とは想像である、 と私はいおうと思う」三木清 「死について」『人生論ノート』 ブログ内検索Amazon最安値でセンスの光る古本屋【ふぃでりお書店】を出店中です。コトバを探す(例えば…

アイデンティティ・ゲームを突破した気持ちになれた

「詰まるところ、 私にとって、 私の存在の始まりと私の存在の終わりは、 思考不可能で表象不可能な外部である ということになる。 その意味において 不可能なるものが、 私を私たらしめている他者である ということになる。 私の同一性を保証するのは、 不…

現実は痛切である。あらゆる甘さが排斥される。

「現実は痛切である。 あらゆる甘さが 排斥される。 現実は予想できぬ 豹変をする。 あらゆる平衡は 早晩打破せられる。 現実は複雑である。 あらゆる早合点は 禁物である。」湯川秀樹 『目に見えないもの』

マリノフスキー英語版へ書き込み をする和辻哲郎

「経済活動は 欲望より 出でず。 人倫より 出づ」和辻哲郎マリノフスキー「西太平洋の舟乗り」英語版への書き込み Amazon.co.jp ウィジェットAmazon最安値でセンスの光る古本屋【ふぃでりお書店】を出店中です。【 概念・時間・言説―ヘーゲル“知の体系”改訂…

ラッセルの文章は澄んだ水を通して深い底を見るよう

「ラッセルはすばらしい文章を書く。 一般にイギリスの学者や思想家は、 アメリカのそういう人たちと比べて 文章に味わいがあるのだが、 そのイギリスでも ラッセルの文章は格別で、 深い思想をきわめて 平明な表現でさりげなくのべる。 澄んだ水を通して 深…

トレヴェリアンという先年亡くなった歴史家がある

「トレヴェリアンという 先年亡くなった歴史家がある。 その『イギリス社会史』は 戦後わが国でも愛読された名著だが、 第二次大戦中に戦闘の合間に イギリスの軍人が読んだ本の ベスト・ファイヴの中に入っていたといわれる。 日本の歴史家が "社会史" とい…

緊張は解けることはなかったのではあるまいか。

「吉田(健一)さんはすばらしく英語ができた。 その外国語が日本語と 微妙にからみ合っていたのではあるまいか。 吉田さんのスタイルは つねに緊張した意識の網の上を 歩んでいたのではなかったのか。 その独特な文章が 高く評価されるようになってからも、 …

われわれが引用の問題をいい加減に考えている証拠

「引用すると 見違えるほど 精彩の出る文章もあれば、 逆に、 あまりさえなくなってしまう文章もある。 前者のようなのが アンソロジー・ピース (詞華集によくのる詩文、というほどの意味) と呼ばれる。 これに当たる日本語がないのは、 われわれが 引用の問…

日本の総広告量の約四分の一を握っている怪物電通、

「…この、 日本の総広告量の二四パーセントと、 約四分の一を握っている怪物電通、 残りの四分の三を 約三千社の広告会社が食い合っているわけで、 当然ながらというべきか、 広告業界での電通の評判は はなはだかんばしくない。 ことに小広告会社の経営者た…

ジョイスはありのまゝを書いてゐるだけだ。

「プルウストは 常に 自分の角度から見てゐる。 ジョイスは ありのまゝを書いてゐるだけだ。 それは文学ではない。 つねにある角度から眺め 現実以上に高めて 構成して表現したものでなければ 文学とは思はぬ。 ジョイスの小説よりも 一人の人間の方が真実だ…

誤って平板化されたとの二元論と

「ソシュール以来、 ソシュール本人の考えはともあれ、 誤って平板化された <ラング>と<パロル>の二元論と、 一切を実体化され 客体化された相においてのみ とらえようとする その根底にある西欧の 伝統的思考法を、 具体的な <語る主体>と<パロル>の 場面へ…

主語は述語の中に含まれる形で述語に対立していると

「国語に於いては、 主語は述語の中に 含まれる形に於いて 述語に対立していると 見なければならない。 従って、 判断的陳述の対象が、 すべて述語格であるといっても、 それは決して主語格の存在を 無視したことにはならない。 ………国語に於いては 主語が省…

僕はジョイスをみとめない。

「僕はジョイスをみとめない。 しかし田村の言ふ、 無駄な言葉を使つて 一つの意味を表すことは 近代文学の 一つの功績 だと思ふ。 然しそれを僕はむしろ、 プルウストに於て 認める。」坂口安吾の発言より 「文学の新精神を語る」 『坂口安吾全集17』筑摩書…

海舟は、幕末にさかんに日本防衛論をやっているとき

「海舟という人は、 幕末にさかんに 日本防衛論をやっているとき、 珍しく朝鮮贔屓でございましたね。 朝鮮と一緒に やっていかなければいけない ということをいってるんで、 これは他の連中の防衛論にない。 他の連中は たいてい手近の朝鮮を とってしまえ…

まず人間について基本的な信頼の思い

「言葉を軸にして、 人間とはなにか ということを考えつつ、 そのように考える 自分が、 まず人間について 基本的な 信頼の思い をもっていることに 気づく。」大江健三郎 『小説の方法』岩波書店 同時代ライブラリー140 p.1 1993Amazon最安値でセンスの光る…

日本人は延長され拡張された母子関係にとらわれている

「おそらく日本人にとって重要なのは 血統ではなく、 むしろ岸田さんが 擬似的な血液関係と呼んだもの、 いわば血縁的な気分といいますか、 つまり身内意識ですね、 こちらのほうが大切なので、 血統は、 いわばどうでもいいのだト、 だから日本人を考える際…

つまり、先祖がえりしたわけですね。

「これは、 遺伝学でもよく解けないのですが、 たとえば、日本種のコメを田んぼにまいて 同じ所で同じ種籾を 同じような方法で育てておりますと、 二、三年たつと、 その中から長粒系の赤いコメができる。 これは、 改良されてとっくになくなってしまってい…

兵隊さんが死ぬときに、「お母さん」と言う

「(谷川)たとえば太平洋戦争中、 兵隊さんが死ぬときに、 「天皇陛下万歳」というよりも 「お母さん」と言う人のほうが 多かったみたいな話をよく聞きますね。 天皇に対する感情というのは 世代によって相当違っていて、 明治生まれの人なんかは 特別な感…

“方便”は、サンスクリット語で“ウパーヤ”

「…“方便” という語は、 もとはサンスクリット語(梵語。インドの古典語)であって、 “ウパーヤ”といいます。 そしてその“ウパーヤ”は、 「近づく」 という意味なのです。」ひろさちや 『法華経で生まれ変わる』学研M文庫 p.20 2000Amazon最安値で出品中です…

スピノザ=ルソー=ゲーテ的人間こそ、父であり母

「「デカルト的言語学」を提唱している チョムスキーのひそみにならってあえていえば、 スピノザ=ルソー=ゲーテ的人間こそ、 その父であり母であり、 のちに「人間」の分裂によって マルクス的人間とフロイト的人間に 分裂せざるをえなかったものなのであ…

ひとつの思想が異なる言語・文化体系に移されること

「…すでにひとつの思想が 異なった言語・文化体系のなかに 移されることは、 それ自体で第一次的 とでもいうべき変換を ひきおこしているのであるし、 そのことの自覚なしには 紹介すらもありえない からである。 われわれはそれに あえて第二次的な変換を …