イタリア批評

正しく生きるとき神は我々の中に

「正しく考えるとき我々は神の中にある。正しく生きるとき神は我々の中にある。」アウグスティヌスその通り! 〜テクスト礼讃〜 http://fiderio.blog68.fc2.com/blog-category-143.html

イタロ・カルヴィーノ 古典とは

「古典とは、最初に読んだときと同じく、読み返すごとにそれを読むことが発見である書物である。」 イタロ・カルヴィーノ

グラムシ 教育関係は、

「教育関係は、新しい世代が古い世代と接触して、その経験と歴史的に必然的な価値とを吸収して、自分自身の人格を歴史的文化的に高次なものに《成熟させ》、発展させるという…この関係は、総体としての社会全体のなかに存在し…」 アントニオ・グラムシ 『グ…

名声ののちには

「名声ののちには忘却があるのみである」 マルクス・アウレリウス・アントニヌス『自省録』

地位が高くなるほど、足もとが

「人間は地位が高くなるほど、足もとが滑りやすくなる」 タキトゥス『年代記』

寛大は 有害である

「寛大は用いるにあたって当を得なかったならかえって有害である」 マキャベリ『君主論』テクスト礼讃 楽天出張所

備えているように思わせることが

「君主は私が列挙したような善徳を、すべて備える必要はない。ただ備えているように思わせることが必要なのである」 マキャベリ『君主論』

捕えられた者が捕えた者を捕えた

「捕えられたギリシアが捕えた者[ローマ]の腕を捕えた」 ホラティウス

はや何人世を去って行ったことだろう

「私と一緒にこの世にきた者のうち、はや何人世を去って行ったことだろう。」 マルクス・アウレーリウス『自省録』(神谷美恵子)

今日,歴史叙述には物語的な次元が

「今日,歴史叙述には(どんな歴史叙述にも程度の差こそあれ)物語的な次元が含まれているということが強調されるとき,そこには,フィクションとヒストリー,空想的な物語と真実を語っているのだと称している物語とのいっさいの区別を,事実上廃止してしま…

美しい詩を前にして、一種の不感症が

「詩を詩でないものから識別することは、精神のひとつの自発的な働きである。…時折り、きわめて美しい詩を前にして、一種の不感症が証されることがある。時には、われわれと詩との間にわれわれの想像力が介入して、美が存在しないのに存在するかのようにわれ…

悪とは…精神の自由に対する

「悪とは生の統一性ひいては精神の自由に対するたえざる策謀のことであり」 「善とはその統一性ひいては自由のたえざる再建・強化のことである」 ベネデット・クローチェ参照 上村忠男『クリオの手鏡二十世紀イタリアの思想家たち』平凡社

マリオ・プラーツ

「<倦怠>は世紀末の最も一般的な様相でしかない。その特異な様相が、サディズムなのである。」 マリオ・プラーツ『肉体と死と悪魔』

不死なる霊は今お前のこわれやすい肉体を動かしている

「もし神というものが、生き、感じ、思い出し、予知し、天上の至高なる神が宇宙全体を支配しているように、自分が宿っている物体を支配し、統御し、動かすものだとすれば、正にお前もまた神なのだ。永遠の神は宇宙を動かしている。その宇宙は部分的には死す…

ウンベルト・エーコ

「……禅問答で禅師が人生の意味について訪ねられて、杖を持ち上げて答えるとき、解釈者は異常な含意を嗅ぎ取る。その解釈項の鍵は既に存在する枠(フレーム)の外にあるのだ。……彼の(仕草による)答えがまだコード化されていないひとつの―そして恐らく一つ以…