2010-11-01から1ヶ月間の記事一覧

「あきらめる」には「明らかにする」という意味がある

「本来、 日本語の「あきらめる」 という言葉には、 「明らかにする」という意味があります。 この段階に達すると、 愛する人は もうこの世にはいない というつらい現実を 「あきらか」にみつめて、 相手の死を 受け入れようとする 努力が始まります。」アル…

死にゆく人の脳裏には、もはや神も家族もなく

「…アリエスは、 二○世紀においては、 死が象徴的な意味で 「虚無に埋没した」 と捉えました。 死にゆく人の脳裏には、 もはや神も家族もなく、 自分もまた消え去るものとしての 現代的な虚無の世界しかないのではないか と言っています。 「その無の根底を…

日本では訓読の分析がそのまま精神分析となりうる。

「日本においては、 文という装置、 訓読というプログラムをめぐる、 もっぱら言語的な分析が そのまま 精神分析となりうる。 その可能性を 暗に示唆していたのは、 他でもない ラカンである。」山城むつみ 「文学のプログラム」冒頭書き出し

戦争は耐え難いものクラウゼヴィッツ『戦争論』

「戦争は 耐え難いもの でなくてはならない」カール・フォン・クラウゼヴィッツ 『戦争論』

バルザックの小説はむやみに長い骨董品のように見え

「つまりは バルザックの小説はただむやみに長い 骨董品のように見えていた。 ところがそうではなかった。 バルザックは十九世紀後半の 文化や科学までを見通し、 二十世紀をも予感していたし、 さらにバルザックを読むためには十八世紀に、 さらにそれ以前…

創作は他テクストを反復、ピッタリ重なろうとする試み

「他の作品とは関係なく、 紙との一対一の関係において 自己を表出するという試みは、 すぐれて「近代」的な意味においては、 決して「創作」するということではなかった。 「創作」するとは、 先行する他のテクストを参照し「反復」すること、 それとピッタ…

先行テクストの「反復」にアレゴリーを認めたド・マン

「先行する テクストの 「反復」 に近代小説の アレゴリー性を認めた ポール・ド・マンは、 この 「不一致」 に時間性を 見出している。」山城むつみ「小林批評のクリティカル・ポイント」p.47

その水兵は、行列のすぐ前方を横切ろうとしたのである。

「二月四日(陰暦一月十一日)早朝から備前(岡山)藩兵が神戸を通過してゆくのを見たが、午後二時頃、ある家老の行列が一名のアメリカ水兵を射撃した。その水兵は、行列のすぐ前方を横切ろうとしたのである。この発砲につづいて、かれらは出逢った外国人をひと…

小林秀雄「無常といふ事」より、美しいもの

「解釈を 拒絶して 動じないもの だけが美しい」小林秀雄 「無常といふ事」1642

なるたけ早く鮮やかに獲物を仕止めたいといふ欲望

「評家は猟人に似てゐて、 なるたけ早く鮮やかに獲物を仕止めたい といふ欲望にかられるものである。 ドストエフスキイも、 夥しい評家の群れに取巻かれ、 各種各様に仕止められた。 その多様さは、殆ど類例がない。 読んでみて、それぞれ興味もあり有益でも…

反復的に読み返す仕草を「読書」と名づけている

「…われわれは ある時どこかで読んだ テクストを 日々反復的に 読み返すという仕草を 「読書」 と名づけているだけ かもしれない…」土田知則 『間テクスト性の戦略』夏目書房 2000 p.12

ただ読むことではなく、くり返し読むことbyボルヘス

「大事なのは、 ただ読むことではなく、 くり返し読む ことです。」 ホルヘ・ルイス・ボルヘス「疲れた男のユートピア」『砂の本』(篠田一士訳)集英社文庫 p.104 1975

この先は、もうけっして書かれたりすることはない

「足音が近づいてくる…… だが、 この先は、 もうけっして 書かれたりすることはないだろう。 書くという行為は、 たぶん、 何事も起こらなかった場合だけに 必要なこと なのである。」安部公房 『他人の顔』 末尾 むすび