日本の軍人の無降伏主義そのものさえ、近時の軍人の考え方

「著者が大きい問題として取り上げている日本の軍人の無降伏主義そのものさえ、近時の軍人の考え方であって、日本人の伝統的な考え方ではありません。降服ということは恥辱と見られたに相違ないが、しかし最近におけるようなヒステリックな考え方は昔の武士にはなかったのです。明治時代に軍歌というものが唱われ始めたころ、兵士たちが「知勇兼備のもののふ」として日々賛美していたのは、ほかならぬ降参者熊谷直実、初め頼朝討伐の軍に加わり、後に降参して頼朝の家臣になったあの熊谷直実ではありませんか。国民は直実の降参の事実などをさほど重大視せず、従って明治時代の軍人たちもその点は気にしなかったのでありましょう。降伏をひどくきらって城を枕に討ち死にすることが流行したのは、戦国時代の末、力ずくの争いが激化して手段を選ばなくなり、策略のために降服する人などが輩出した結果、降人をことごとく斬るというようなやり方が始められたからでありましょう。」

和辻哲郎「『菊と刀』について」p.65-66