2012-06-01から1ヶ月間の記事一覧

バルト「歴史」とは、

「「歴史」とは、西欧の知の超自我である。」ロラン・バルト

批評家が作品のイメージを提出することなどは僭越の限り

「批評家の任務は、趣味を創造することではなく、すでに存在する趣味を定着させることである、とティボーデは云っている。もしこの言葉が本当であれば、批評家がこれからうまれるであろう将来の作品のイメージを提出することなどは僭越の限りであって、しよ…

バルザックに魅了されないで何カ月も彼とともに過ごすわけにはいかなかった

「…読者は、わたしが、解剖しているこのテクストに対して深い賛美の念を抱いていることを強く感じてほしいと思いますね。いずれにしても、バルザックに魅了されないで何カ月も彼とともに過ごすわけにはいかなかったでしょう。それに、わたしひとりではなく、…

モデル読者の存在を考えてみるつもりです

「この意味でわたしは、多様な視点に開かれたテクストについてだけでなく、頑固で従順な読者を想定したテクストについても、モデル読者の存在を考えてみるつもりです。言い換えるなら、『フィネガンズ・ウェイク』だけでなく、鉄道の時刻表にだってモデル読…

社会集団は彼らにアウトサイダーのラベルを貼ることにより逸脱を生みだす

「社会集団は、これを犯せば逸脱となるような規則をもうけ、それを特定の人々に適用し、彼らにアウトサイダーのラベルを貼ることによって、逸脱を生みだすのである。」 ハワード・ ベッカー 『アウトサイダーズ 』1963年刊行の『アウトサイダーズ』において…

"The world," she thought,

"The world," she thought, "is certainly full of beautiful things, if only I could come across them."「「世界はきっと美しいものでいっぱいなんだわ」と彼女は思った。「わたしが出会うことさえできるのなら」」 E.M.フォースター 『眺めのいい部屋』

寛容、善意、同情、こそ大事

「私は絶対的信条を信じない。寛容、善意、同情、ほんとうはこういうものこそ大事なのであって、人類が滅亡を免れるとすれば、遠からずまたこういうものが前面に出てくることだろう。」E.M.フォースター 『私の信条』最後に、人間にとっての最後に、本当に必…

昔は学問のことを勉強といっていた。

「昔は学問のことを勉強といっていた。何か一つの目的のために、強いて勉めて我慢をして学問をしたのであった。多くは新たなる職業のためであった。家々の燈火が明るくなってから、そんな必要のない人も、楽に世の中のためにまたは愛する者のために、静かな…

誰が書いたのか知らずに、その「私」という語を読むとき、

「誰が書いたのか知らずに、その「私」という語を読むとき、意味作用を欠いているのではないにしても、少なくともその語の正常な意味作用とは無関係な語を、われわれは手にしているのである。」エドムント・フッサール 『論理学研究』デリダ『声と現象』3つ…

本当に離れるためには、一度どっぷりつかることが必要である。

「本当に離れるためには、一度どっぷりつかることが必要である。このことは人間関係ばかりに限らない。趣味などにしても、一度どっぷりつかると、それと適当な距離をとれるようになる。中途半端なことをすると、「心残り」がするのである。(中略)幼少時に母…

書かれたものと書かれなくてもいいもの

「本を読むのが段々面倒くさくなつたから、なるべく読まないやうにする。読書と云ふことを、大変立派な事のやうに考へてゐたけれど、一字ずつ字を拾つて、行を追つて、頁をめくつて行くのは、他人のおしやべりを、自分の目で開いてゐる様なもので、うるさい…