ある蘇生術をほどこさねばならぬものは、すでに死滅したものである

「古典を現代のものとするためには、ある蘇生術をほどこさねばならぬといふやうな考え方は間違いである。又ある蘇生術をほどこさねばならぬものは、すでに死滅したものである。さうして死滅したものは古典でない。再評価とは忘れられている形を人々の注意にまでよびさますことである。」

保田與重郎
「古典精神と現代精神」
保田與重郎全集第四巻』p.401

奈良は日本の故郷である

「奈良は日本の故郷である。最も古い歴史の形である。ここだけは永久に日本の古さに止めたいと、私は思ふ。それは消極の方針でなく、限りない誇りを持つた積極である。保守には勇猛の自信が必要である。」

保田與重郎「ふるさとの大和」
保田與重郎全集第四巻』p.349

土地が血統である。國土が血すぢである。

「土地が血統である。國土が血すぢである。土地の観念がなくして萬代の血すぢはないのである。私は萬葉の土地歌枕を語るだけで血すぢにつたはるやうな感動を味はふのである。こんにちは無位無冠のしがない一人の民にすぎない我々は、同じき我々の父祖と共に、この土地を味はふのみである。」

保田與重郎「父母なる國」

保田與重郎全集第四巻』p.353

日本の軍人の無降伏主義そのものさえ、近時の軍人の考え方

「著者が大きい問題として取り上げている日本の軍人の無降伏主義そのものさえ、近時の軍人の考え方であって、日本人の伝統的な考え方ではありません。降服ということは恥辱と見られたに相違ないが、しかし最近におけるようなヒステリックな考え方は昔の武士にはなかったのです。明治時代に軍歌というものが唱われ始めたころ、兵士たちが「知勇兼備のもののふ」として日々賛美していたのは、ほかならぬ降参者熊谷直実、初め頼朝討伐の軍に加わり、後に降参して頼朝の家臣になったあの熊谷直実ではありませんか。国民は直実の降参の事実などをさほど重大視せず、従って明治時代の軍人たちもその点は気にしなかったのでありましょう。降伏をひどくきらって城を枕に討ち死にすることが流行したのは、戦国時代の末、力ずくの争いが激化して手段を選ばなくなり、策略のために降服する人などが輩出した結果、降人をことごとく斬るというようなやり方が始められたからでありましょう。」

和辻哲郎「『菊と刀』について」p.65-66

著者は反対のデータを細心にさがし回るという努力をほとんどしていない

石田英一郎に書評を勧められた和辻がそれを断るために書いた
「しかしわれわれは、外国人の日本研究に付随するこの種の難点に対しては、寛容な態度をもって接するという習慣を持っているのです。それよりもむしろ、間違いのないデータを並べている場合でも、それの取り扱い方に難があると思うのです。著者はそういうデータから不当に一般的な結論を出しています。われわれの側からは、そういう結論を不可能にするだけの同数の反対のデータを、容易に並べることができるでしょう。この著者はそういう反対のデータを細心にさがし回るという努力をほとんどしていないように見えます。」

和辻哲郎「『菊と刀』について」p.63-64

日本的ということが、ひ弱くはかないものの代名とされていた

「本日日本的なものといふことが非常に多くの人々によつて云われている。ところでこういう言葉や東洋的ということばは概してヨーロッパ的な考え方から出てくるものとおもわれる。むしろこの反対に我国でヨーロッパ的といわれているものに、僕らは日本的なことばを見出すのである。一時は日本的ということが、世界の意志に対する一つの反対として、一つの旧時代として、ひ弱くはかないものの代名とされていた。」

保田與重郎
「開花の思想−日本的ということ−」
保田與重郎全集第四巻』p.310