柳田國男

「行ずりの採集では好伝承者の会逅さへ僥幸に期待せねばならないが、たとへ滞在採集の場合に好伝承者を探しあてたとしても、先方を煩はす気兼や方言の障碍があって、充分な聞出しといふものは殆んど得られるものではない。爰に新しき学問の勘所を心得た郷土人自らの採集が最も期待される所以である。しかも一通りの外形について余りに憤熱■するため、内部まで引つける魅力が乏しいのであろう、かやうな郷土の採集は滅多に望めなかった。楢木氏も従来数々の民俗採集を発表して来られたが、氏の郷土日向馬関田島内村ー現在の西諸県郡真幸村島内ーについては、豊富な伝承の伝はってゐるに相違ないと思はれるのに未だ確実にこれに触れたものは殆んど見かけない。この期待して得られなかった郷土の採集が、実は先頃物故せられた先考を通じて近年徐々に進められてゐたのであった。本書はその聞書の整理で、単に先考の好き記念といふ許りでなく、我々にとっても氏の在来の熟れの研究にもまして貴重な好記録である。家と人、祭祀、年中行事、冠婚葬送等数項目に分れたどの一頁をあけて見てもただは看過し難い伝承に出あふのであらうといっても過言ではない。好採集と伝承者とそれに恵まれた郷土と揃った好標本をここに見出すのである。」
柳田國男『民間伝承三ー六』昭和十三年二