柳田國男

「社會科の初期の課程は、今と昔との差異、今ある事物の原因は必ず以前に在り、それも大部分は人間の選擇で、さうはならずにすむ場合もたしかにあつたのだといふことを、次々と自分で心づかせて、それを將來の政治行動、殊に年々の選擧の判斷に役立たせるやうにしたいものである。國の失敗は大も小もすべて取返しのつかぬ過去の事だとは言ひながら、それを再びせぬ用心の為のみならず、逆にこの經驗を活用して、偉大なる再建を為し遂げる場合も必ず有り得る。 どうか無邪氣な者の疑問を抑壓せず、又は小ざかしい口さきだけの解答を誘導せずに、努めて多數者の一致した知識欲に應じようとするならば、我々の學問は次第に成長して行くであらう。又成長しなくてはならぬのである。人は長幼を通じてまだまだ莫大な無知を持つて居る。 各自の生活からにじみ出た自然の疑惑こそは、學問の最も大いなる刺戟である。是を些々たる要項の暗記によつて、一通りは習得した如く自得させるなどは、一言で評すれば文化の恥である。」
柳田國男歴史教育について」