2011-01-01から1ヶ月間の記事一覧

小説は、見えがたきを見えしめ曖昧なるものを明瞭に

「されば、小説は、見えがたきを見えしめ、曖昧なるものを明瞭にし、限りなき人間の情慾を限りある小冊子のうちに網羅し、これをもてあそべる読者をして自然に反省せしむるものなり。」坪内逍遥 『小説神髄』「小説の主眼」

三島由紀夫『女方』末尾むすび

「しかし幻滅と同時に、彼はあらたに、嫉妬に襲われている自分を知った。その感情がどこへ向って自分を連れてゆくのかを増山は怖れた。」三島由紀夫 『女方』 末尾 むすび

小説の主脳は人情なり、世態風俗これに次ぐ。のだ

「小説の主脳は人情なり、世態風俗これに次ぐ。人情とはいかなるものをいうや。曰く、人情とは人間の情慾にて、いわゆる百八煩悩これなり。それ人間は情慾の動物なれば、いかなる賢人、善者なりとて、いまだ情慾を有ぬは稀れなり。」 坪内逍遥 『小説神髄』…

第三第四の菩薩と自分が無限に連続する不思議な体験

「曽我はある時、阿弥陀仏の木像の前で念仏をしていると、眼前の木像が消えて菩薩があらわれ、その菩薩を拝んでいる自分の後ろにも第二の菩薩があらわれ、それを拝んでいる第二の自分があり、さらに第三、第四の菩薩と自分があり、それが無限に連続している…

レトリックはテクストである。ド・マン

「レトリックはテクストである。それが二つの相容れない、相互に自己破壊的な観点を許容し、したがっていかなる読みや理解にとっても行く手を阻む乗り越えがたい障害をもたらすという点においては」ポール・ド・マン

話にきくと、切腹の介錯といふのは(安岡章太郎)

「話にきくと、 切腹の介錯といふのは 相当に剣術の技量がなくては 出来ないもので、 ヘタをすると 首を刎ねる拍子に 自分の足を斬つてしまつたり するといふ。」安岡章太郎 『流離譚』 新潮社 昭和56年 p.86

誤読の脅威を内包しているのだ

「レトリックはたえざる誤読の脅威を内包している。」ポール・ド・マン 『盲目と洞察』1971

辛抱せよ、辛抱せよ、

「辛抱せよ、辛抱せよ、辛抱を押したら世は変わる、それを楽しめ」吉村寅太郎

フロイトは、ユダヤ人はモーゼを殺したと言っている

『モーゼと一神教』について 「フロイトは、ユダヤ人はモーゼを殺した、と言っている。これらが史実として正しいとは、僕も思わない。ただ、フロイトは、<神>が登場する場所を、共同体の内部ではなくて、共同体と共同体の「間」に見ようとしたという意味で…

それはポエムではない。それは構築されていない。

「詩想(ポエジー)しか含まない詩篇(ポエム)を構築することは不可能だ。もしある一篇がポエジーしか含まないとすれば、それは構築されていないわけだ。それはポエムではない。」ポール・ヴァレリー 『文学論』

私の親戚に一軒だけ東北弁の家がある。安岡章太郎

「私の親戚に 一軒だけ東北弁の家がある。 私のところは、 父の家も母の家も高知県の郷士で、 先祖代々土佐に住みついてきたから、 親戚といへば どんな遠縁の人でも、 みんな土佐言葉か、 多少とも高知訛りの 標準語かである。」安岡章太郎 『流離譚』冒頭…

もし開国がおくれたら明治国家独立はなかったと思う

「もし二十年早く、あるいは二十年開国がおくれたら明治国家の独立のチャンスはなかったと思う。二十年前だとセポイの反乱とかアヘン戦争の時期であり、二十年遅かったらもう帝国主義の段階に入っていたので……。」『シンポジウム幕末維新と山陽道(上)』山陽…

この人物は兵をあげ皇帝を私称、そのために逮捕

「…ロッシュはそのことに熱中するのにふさわしい心理的立場をもっている。かれはナポレオン三世の寵臣であった。このシャルル・ルイ・ナポレオン・ボナパルトという奈翁家の三世の立場は、どこか、慶喜に似ている。かれは高名な第一世の甥であったが、兄が若…

信仰の基礎は生活の自然の要求にあって、

「信仰の基礎は生活の自然の要求にあって、強いて日月星辰というがごとき壮麗にして物遠いところには心を寄せず四季朝夕の尋常の幸福を求め、もっとも平凡なる不安を避けようとしていた結果、つとに祭りを申しつつしみ仕えたのは、主として山の神荒野の神、…

天上から地上へ降りるドイツ哲学とはまったく反対

「天上から地上へ降りるドイツ哲学とはまったく反対に、ここでは地上から天上へのぼる。言い換えると、人間が語り、想像し、表象するところのものから出発して、ここから具体的な人間にたどりつくのではない。現実に活動している人間から出発し、かれらの現…

屠蘇を飲む順番はこうして決まった。正月なので。

「君の薬を飲むは臣先ず嘗む。親の薬を飲むは子先ず嘗む」『礼記』屠蘇を飲む順番はこうして決まった。のだそう。。

無宗教は、楽観的人生観への希望の表明ということ

「…「無宗教」を標榜するということは、人生の深淵をのぞき見ることなく生きてゆきたいという、楽観的人生観への希望の表明ということにもなろうか。そして「自然宗教」には、「創唱宗教」入信にみられる決断や明白な回心といったシンドサはつきまとわない。…

その水を見ると、まるで墨のように真黒だ。

「又しばらく行くと、大きい川があった。その水を見ると、まるで墨のように真黒だ。怪しい水の色かなと思って「どうして、こんな色をしているのか。」と訊くと、「知らないのか、これこそ、お前が書いた法華経の水が流れているのだ。」と、云う。「どうして…

暴力は新しい社会を孕む、古い社会の産婆

「暴力というものは、 新しい社会を孕む、 すべての古い社会の 産婆なのである。」カール・マルクス(向坂逸郎訳) 『資本論』 岩波書店 第一巻

わずかばかりの主観的な感情を吐露しているかぎり

「わずかばかりの 主観的な感情を吐露しているかぎりは、 まだ主観的な詩人などといえたものではない。 しかし、 世界を自分のものにして表現できるようになれば、 もうその人は文句なしに詩人だ。 そうなれば、 彼は、行き詰まることもなく、 いつまでも新…