2008-09-01から1ヶ月間の記事一覧
「幻影つまり想像されたものとは、実在しつつしかも不変なる永遠の存在の代理である。」 ウィリアム・ブレイク p.145
「その、頭が変に小さく見えた事が私の心を感傷した。貧乏と世帯でやつれている町子が急に可哀想になって来た。そっと上から覗き込んで見たら頸を少し内側にまげ込んですやすやねていた。きたない、はげちょろの着物をいつもの通り著ている。女だから結婚で…
「能楽には「型」と呼ばれるものがあります。「型」とは、身体の動きを記録するための表記上の単位です。ようするに、舞台上でおこなわれる振付に相当するものを「型」と呼んでいます。型にはそれぞれ名称があります。 カマエ、ハコビ、後ヘ下ル、左右、中左…
「この論文は表題それじたいからして奇妙で謎めいたものにみえるかもしれない。ヘーゲルの現象学を精神分析と対比して論じるなどということは、すべての歴史法則と時間の不可逆性の原理を侵すようにも思われよう。」 ジャン・イポリット(田中昭光訳)「ヘーゲ…
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「記号の役割とは、その代替物という資格で他の事象を喚起することによってこれを表象するもの。」 エミール・バンヴェニスト
「負いかた一つで重荷軽い」 ヘンリー・フィールディング『トム・ジョーンズ』
「マラルメは踊り子について 踊り子が踊る女であるといふのはまちがひであつて、踊り子は女ではなく、また踊るのではないと言つてゐる」 ポール・ヴァレリー「ドガ論」
「世阿弥は、その芸術論を見るかぎり、型への信仰は皆無であるとさえ思います。世阿弥の最高の美である「妙花」は「形なき姿」でした。それは型への信仰がなかったことを暗示しています。」 梅若猶彦『能楽への招待』岩波新書 p.94 2003
「昔の芸能者が専門性を増すにつれて、修練によって身体の動きを学習する必要上、動きを再生産するシステムを考えなければなりませんでした。そのもっともてっとり早い方法が、動きに「名前をつける作業」でした。」 梅若猶彦『能楽への招待』岩波新書 p.96 …
「そう、講壇哲学。だから、カントからフィヒテが出てきて、フィヒテからシェリング、シェリングからヘーゲルが出てくるという筋道は、たしかにふつうに哲学史でやるように論理的な問題の展開として追いかけることはできるわけです。…ああいう形はまことにド…
「VLADIMIR: Well? Shall we go? ESTRAGON: Yes, let's go.[They do not move.]」 サミュエル・ベケット『ゴドーを待ちながら』最後のセリフ
「話し手は、無垢のまだ名付けられていないものだけを扱い、それらに初めて名称を与えるあの、バイブルに現われるアダムではない。……実際、発話はどれもそれ自身の主題の他に、何らかの形で先行する他者の発話に常に反応(この語の広い意味において)している…
「私は幼なかったから、保田與重郎などいなかった。高坂正顕も高山岩男もいなかった。『総力戦理論』も『世界史の哲学』も『近代の超克』もなかった。『万葉集』の文庫本も『葉隠』も、いかにして死ぬかの考察もなかった。私の世界には、そのとき、そうした…
「注釈は、価値評価とはいささかちがう。価値評価は、いやがうえにも慎重に明暗を光と影に分けてゆくものだが、注釈はそれとはちがって、対象とするテキストを古典とみなすところから、したがっていわばひとつの偏見から出発するものであり、また、テキスト…
「誰でも、風景に接した場合、つい自分に必要な部分だけを抽き取って見がちなものである。」 安部公房『箱男』
「ヘーゲルはナポレオンによって歴史は終わったといった。それはブルジョア革命が達成されたのちに、もはや歴史を歴史たらしめる闘争がなく、情熱がないということを意味する。いうまでもなく、ヘーゲルはまちがっていた。」 柄谷行人「歴史の終焉について」…
「そこにいるのは誰か?ナジャ、君なのか?彼岸が、彼岸のすべてが、この人生のなかにあるというのは本当なのか?ぼくには君の言うことが聞こえない。そこにいるのは誰か?ぼくひとりなのか?これはぼく自身なのか?」 アンドレ・ブルトン『ナジャ』
「痙攣的な美はエロチックで覆われていて、爆発的で静止していて、魔術的で情況にかかわるものだろう。さもなければ存在しないだろう。」 アンドレ・ブルトン『狂気の愛』1937
「前進中、前後三人の敵の殺気を感じ、まず正面の敵の右斜め面に抜き打ちし、さらに諸手で「水月」を刺す。つぎに後ろの敵を真っ向から切り下ろす。続いて正面からくる他の敵を真っ向から切り下ろして勝つ。」 制定居合六本目 全日本剣道連盟居合
「美とは〈痙攣的な〉ものだろう。さもなくば存在しないだろう。」 アンドレ・ブルトン『ナジャ』末尾
「批評とは自叙伝の唯一の洗練された形である、とオスカー・ワイルドは述べたことがあるし、オスカーの言うことはいつも間違ってなかった。」 ハロルド・ブルーム『聖なる真理の破壊』1990 p.180
「ウォルター・ペイターの愛すべき弟子である私自身は…」 ハロルド・ブルーム『聖なる真理の破壊者 旧約から現代にいたる文学と信』法政大学出版p.46
「前進中、前から敵が刀を振りかぶって切りかかろうとするのを逆袈裟に切り上げ、さらにかえす刀で袈裟に切り下ろして勝つ。」 制定居合五本目 全日本剣道連盟居合(解説)
「暗く湿った空と、眼の高さで溶け合っている、黒い海。海は空よりももっと暗い。堕落するエレベーターのような深い黒。眼をつぶってもまだ見えている底無しの黒。海が聞える。自分の頭蓋骨の内側が見える。骨組が露出しているドーム型の天幕。飛行船の内部…
「舞台の背景に見える松の絵が描かれた板を、鏡板といいます。この鏡板に描かれた松は能舞台の永遠の背景としてある「老松」です。…もともと奈良の春日大社の「影向の松」と呼ばれていた実在する松を模したのがはじまりとされています。…どのような曲であろ…
「躰ハソル心 両眼ヲフサグ」 梅若家『習物重習型附』
「とうとう癇癪をおこしてしまった母親は、削りかけのコルクをいきなり畳に投げつけて「野郎ぉ……」と喚くのであった。」 本庄陸男『白い壁』冒頭