2012-10-01から1ヶ月間の記事一覧

あの時の「おれが死んだら」は単純な仮定であった

「「おれが死んだら、どうかお母さんを大事にしてやってくれ」私はこの「おれが死んだら」という言葉に一種の記憶をもっていた。東京を立つ時、先生が奥さんに向かって何遍もそれを繰り返したのは、私が卒業した日の晩の事であった。私は笑いを帯びた先生の…

ああ、ああ、天子様もとうとうおかくれになる。己も……

「崩御の報知が伝えられた時、父はその新聞を手にして、「ああ、ああ」といった。「ああ、ああ、天子様もとうとうおかくれになる。己も……」父はその後をいわなかった。」夏目漱石 『こころ』中 両親と私、五

私の心臓を立ち割って、温かく流れる血潮を啜ろうとしたからです

「私は時々笑った。あなたは物足りなそうな顔をちょいちょい私に見せた。その極あなたは私の過去を絵巻物のように、あなたの前に展開してくれと逼った。私はその時心のうちで、始めてあなたを尊敬した。あなたが無遠慮に私の腹の中から、或る生きたものを捕…

「金さ君。金を見ると、どんな君子でもすぐ悪人になるのさ」

「「さきほど先生のいわれた、人間は誰でもいざという間際に悪人になるんだという意味ですね。あれはどういう意味ですか」「意味といって、深い意味もありません。――つまり事実なんですよ。理屈じゃないんだ」「事実で差支えありませんが、私の伺いたいのは…

「田舎者はなぜ悪くないんですか」私はこの追窮に苦しんだ

「先生はその上に私の家族の人数を聞いたり、親類の有無を尋ねたり、叔父や叔母の様子を問いなどした。そうして最後にこういった。「みんな善い人ですか」「別に悪い人間というほどのものもいないようです。大抵田舎者ですから」「田舎者はなぜ悪くないんで…

強い太陽の光が、眼の届く限り水と山とを照らしていた

「そうして強い太陽の光が、眼の届く限り水と山とを照らしていた。私は自由と歓喜に充みちた筋肉を動かして海の中で躍り狂った。先生はまたぱたりと手足の運動を已めて仰向けになったまま浪の上に寝た。私もその真似をした。青空の色がぎらぎらと眼を射るよ…

われわれは現在についてほとんど考えない。

「われわれは現在についてほとんど考えない。たまに考えることがあっても、それはただ未来を処理するために、そこから光をえようとするにすぎない。現在はけっしてわれわれの目的ではない。過去と現在はわれわれの手段であり、未来のみが目的である。」ブレ…

人間は自分が幸福であることを知らない

「人間が不幸なのは、自分が幸福であることを知らないからだ。ただそれだけの理由なのだ。」ドストエフスキー 『悪霊』

信仰のあらゆる形式を超えて

「信仰のあらゆる形式を超えて信仰にしがみつけ。」テニソン 「古代の賢者」

思考は中庸なるものによってのみ存続する

「思考は極端なるものによってのみ進むが、しかし中庸なるものによってのみ存続する。 」ポール・ヴァレリー 「ヨーロッパ人」

城郭は守る者のために利なれども攻る者のためには害なり

「議論の本位を定めざればその利害得失を談ずべからず。城郭は守る者のために利なれども攻る者のためには害なり。敵の得は味方の失なり。往者の便利は来者の不便なり。故に是等の利害得失を談ずるには、先ずそのためにする所を定め、守る者のためか、攻る者…

「不自然な暴力って何ですか」「何だかそれは私にも解らないが、

「先生の口元には微笑の影が見えた。「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」「不自然な暴力って何ですか」「何だかそれは私にも解らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を…

私は私自身さえ信用していないのです。

「私は私自身さえ信用していないのです。つまり自分で自分が信用できないから、人も信用できないようになっているのです。自分を呪うより外に仕方がないのです。」夏目漱石 『こころ』 ちくま文庫 筑摩書房 1985 p.41

人間を愛し得る人、愛せずにはいられない人、それでいて…

「人間を愛し得る人、愛せずにはいられない人、それでいて自分の懐に入ろうとするものを、手をひろげて抱き締める事のできない人、──これが先生であった。」夏目漱石 『こころ』 ちくま文庫、筑摩書房 p.20

あなたは死という事実をまだ真面目に考えた事がありませんね

「…始めのうちは黙って聞いていたが、しまいに「あなたは死という事実をまだ真面目に考えた事がありませんね」と云った。私は黙った。先生もそれぎり何とも云わなくなった。」夏目漱石 『こころ』 ちくま文庫、筑摩書房 p.18

征服が法律をつくった。

「力がまず征服し、征服が法律をつくった。」アレクサンダー・ポープ 「人間論」

神から与へられたとするやうな思想は無かつた

「この時に限らず、昔から天皇の地位なり権威なりを宗教的意義での神から与へられたとするやうな思想は無かつた。これは上代に神といはれたものの性質から見ても当然なのである。神といはれたものは生物なり無生物なりいろいろの霊物や形の無いさまざまの精…

あほらしい。経歴知って作品を理解するやて。

「あほらしい。経歴知って作品を理解するやて。作品は読んだらそれでええんや。経歴となんの関係がある。このごろそんなんが流行しているらしいけど、わしゃ好かんね。」富士正晴 「毛呂胡蝶」

「方法」という言葉には、とりわけ注意深くあらねばならない

「「方法」という言葉には、とりわけ注意深くあらねばならない。なぜなら、「方法」は、それが方法として在るところには、きまって存在しないからである。二流の精神が受けとり且つ応用しようとするような方法は、すでに「方法」ではなく形骸にすぎない。「…

何故働かないつて、そりや僕が悪いんぢやない。

「何故働かないつて、そりや僕が悪いんぢやない。つまり世の中が悪いのだ。もつと、大袈裟に云ふと、日本対西洋の関係が駄目だから働かないのだ。第一、日本程借金を拵らへて、貧乏震ひをしてゐ国はありやしない。(中略)あらゆる方面に向かつて、奥行を削つ…

個人には社会に対する以前にそれぞれの世間があった

「わが国には個人には社会に対する以前にそれぞれの世間があったのであるが、この世間は、彼には社会の未成熟なもの、すなわち同一線上で語りうるものとしてしか見えなかったのである。」阿部謹也 『「世間」とは何か』講談社現代新書p.202

坊っちゃんに身を寄せて「世間」をやっつける楽しみを味わってきた

「私達は長い間坊っちゃんを理想化し、坊っちゃんに身を寄せてこの小説を読んできた。そのために赤シャツや野だいこそして校長達は薄汚い存在だという評価が定まってしまった。実は私達自身が赤シャツや野だいこの同類であるからこそそれらの人々を薄汚い存…

しばらく眺めていたが、腹の割れ目から手を入れて、

ある夜、眠れなかった光晴は、したのベッドに寝る中国人の女性の寝顔を 「しばらく眺めていたが、腹の割れ目から手を入れて、彼女のからだをさわった。じっとりとからだが汗ばんでいた。腹のほうから、背のほうをさぐってゆくと、小高くふくれあがった肛門ら…

禅の悟りとは、いつでも、どこでも死ぬる覚悟

「禅の悟りとは、いつでも、どこでも死ぬる覚悟ができることだと思っていたが、よく考えてみると、それは大変な誤りで、いかなる場合でも、平気で生きることであることがわかった。 」正岡子規

読者は坊っちゃんに肩入れしながら読むが、その実皆自分が赤シャツの仲間

「「坊っちやん」はイギリスでヨーロッパにおける個人の位置を見てしまった漱石が、わが国における個人の問題を学校という世間の中で描き出そうとした作品である。(略)「坊っちやん」は学校という世間を対象化しようとした作品であり、読者は坊っちゃんに肩…

じっさい何を望んだのかを思い出せるひとは、ほとんどいない

「何であれひとつは望みを叶えてくれる仙女は、だれにとっても存在する。しかし、自分がじっさい何を望んだのかを思い出せるひとは、ほとんどいない。」ヴァルター・ベンヤミン 「1900年前後のベルリンの幼年時代(抄)」冒頭書き出し

その婦人が、自殺前、「夫に済まぬ、夫に済まぬ」と言って泣きいたり

「さる二三日の本紙に、不注意のため乳房にてわが子を窒息せしめたる母親が、良心の呵責にたえずして、ついに自殺したという哀れの物語が載せてある。しかるに、その婦人が、自殺前、「夫に済まぬ、夫に済まぬ」と言って泣きいたりとあるを見て、我輩は少し…

二度三度、はなはだしきは四度五度のおじぎ、予輩はその煩にたえざる

「礼儀三◯◯、威儀三千と称せられし幕府時代の旧習なおいまだ去りやらず、何事にも上つらばかりの虚飾の残れるこそ口惜しけれ予輩はまず何とかして今日の敬礼法を改めんことを希望する者なり、ここに言う敬礼法とは「おじぎ」のことなり、途中にても座上にて…

いとふことなかれ、ねがふことなかれ

「生きたらば、ただこれ生、滅きたらばこれ滅にむかひてつかふべし。いとふことなかれ、ねがふことなかれ。」道元 『正法眼蔵』「生死」

そういうデカルト自身もまったくおなじ理由で〈考えること〉の〈起源〉になった

「〈感ずること〉においてわたしたちの伝統はとおく深いが〈考えること〉においてわたしたちの起源はちかく浅い。古典近代の〈考えること〉の起源の時期に、デカルトは知的な資料の積み重ねを拝し、先立つ思考をとおざけて「ただひとり闇の中を歩む者のよう…