2013-01-01から1ヶ月間の記事一覧
「肩越しに人に見らるるここちして思うがままの日記もえ書かず」柳田國男 「瑞西日記」序よりこれはSNS全盛の今の人間にはより理解されやすい事案と思われます。
「〈内的客体性〉という言葉を口にすることは、言葉の矛盾のように聞こえることはわかっている。しかしわたしには、その矛盾は表面的なものにすぎない。同様にわたしの信ずるところ、現代の思考と行動における最悪の混乱は〈客体的外界〉が存在するのと同様…
"Four ducks on a pond, A grass bank beyond, A blue sky of spring, White clouds on the wing; What a little thing To remember for years── To remember with tears!"William Allingham A Memory Day and Night Songs, 1854この年だからこその感慨って…
「ネプチューンの統べる大海の水をすべて使えば、この手の血は洗いおとせるか?いや、むしろこの手は海という海を真紅に染め、緑の水を赤一色に変えることだろう。」ウィリアム・シェイクスピア 『マクベス』
"Sopocles long ago Heard it on the AEgaean, and it brought Into his mind the turbid ebb and flow Of human misery; we Find also in the sound a thought, Hearing it by this distant northern sea."Matthew Arnold Dover Beach「遠い昔、ソポクレス…
ネルヴァル『十月の夜』「…このネルヴァルのエッセイは、第一章でディッケンズのレアリスムを大いにもちあげたあと、章が進むにつれて、夢の世界の魅力を前面に押し出してくるんです。(略)絶対的なレアリスムが過剰になることは戒められなければいけない、夢…
"And we are as on a darkling plain, Filled with the sounds of alarum and flight, Where ignorant armies clash by night."Matthew Arnold Dover Beach
「肉体は拘束されず、元気で丈夫であり、思うままに飲食し、生活していても、それは魂にとって何の役に立つだろう。またその逆に、肉体が拘束され、病み、疲れ、好まぬながら飢え渇き、悩んでも、それが魂にたいして何の害になるだろう。」マルティン・ルター…
「例へば、人は遂に死なねばならぬ運命にある。これ程たよりない残酷な淋しいことはない。(中略)私の父が呼吸を引取る前にランプの光を見つめたことを覺えてをる。さうして私はランプの芯を出して、その光を出來るだけ大きくしたことを覺えてをる。ゲーテが…
「アルファベットになれた彼らにとって、文字あるいは書き言葉は二次的なものでしかない。書き言葉(エクリチュール)そのものがもつ位相が彼らには見えないのだ。それを音声的なものに還元してしまう暴力性が、彼らにはごく自然なことなのである。それに対し…
「疑おうとすれば、今日ほど疑いの種の揃っている時はないのだ。一切が疑わしい。……疑わしいものは一切疑ってみよ、人間の精神を小馬鹿にした様な赤裸の物の動きが見えるだろう。そして性欲の様に疑えない君のエゴティズム即ち愛国心というものが見えるだろ…
「私たちは、プラトーンに利用できた科学的認識の材料に関してだけなら、彼よりも進歩しているといえる。しかし「哲学すること」それ自身に関していえば、おそらく私たちはもう一度彼の水準に到達することはほとんどできないのではないでしょうか。」カール…
「あほらしい。経歴知って作品を理解するやて。作品は読んだらそれでええんや。経歴と何の関係がある。このごろそんなんが流行しているらしいけど、わしゃ好かんね。」富士正晴 「毛呂胡蝶」
「医者と患者という主題が普遍的なのは、二人の相対的な関係においては、どちらが正常であるかということがついに決められないということにある。自分が正常であるというためには、自分を共同化しなければならない。逆にいえば、自分を共同化できているかぎ…
「保田は知識の放恣さの中に神々の指示を楽しむことを教えたが、小林の方はちょうど肉体を統御するのと同じように、精神を鍛練する秘訣のようなもののしんどさを教えた。卑俗にいえば保田は女性的であり、小林の方が男性的であるとでもいえよう。(略)その印…
「大正期の特色が、文学の文壇化(あるいは社会からの逸脱)であったのにたいして、昭和期のそれが社会化であることは云うまでもありませんが、両者の間のいまひとつの大きな違いは、前者が作家にとって意識的努力の結果であるのにたいし、後者はジャーナリズ…
「ある理論の眼で日本の神聖を云うことさえ、すでに今日では日本人である私にとっては、大へんな空語と思われる。矢の放たれた瞬間は考慮や批判を超越する。その批判はその瞬間に成立した血の体系だけが描くのである。」保田与重郎 「木曾冠者」橋川文三も引…
「『誘惑』とは、フローベールにとって、おのがエクリチュールの夢なのだという感じがする。つまり、エクリチュールがそうであってほしいと思われる何か[ー柔らかで、艶があって、自然な感じで、しっくりと文章の陶酔のなかに解けこんで、美しいー]しかもつ…
「無からの創造が自然な哲学にとっては、空虚であればあるほど、無からの創造の『思弁的』意義はそれだけ一層深くなる。なぜなら、無からの創造はまさに何らの理論的支えを持たないゆえに、思弁に恣意的で無根拠なこじつけや詭弁を無限に活躍させる余地を与…
「今、牧場の草が刈られていて、庭には大きな赤い罌粟の花が咲き始めていた。七月には、小麦畑に小さなほうの赤い罌粟の花が咲き、八月が小麦の取り入れだった。そういう平凡な出来事がこれからは毎年、彼女の一部をなすことになり、夏になるごとに彼女は井…
「物語というものは、多かれ少なかれめまぐるしい展開や、省略をともなうものですが、省略といっても、それは対象となる読者のタイプとの関係によって決まるべきものなのです。」ウンベルト・エーコ(和田忠彦訳) 『エーコの文学講義 p.11
「ですからいまでは『シルヴィー』のことなら、句読点の一つひとつ、隠れたメカニズムの隅々まで知っています。四○年間にわたり何度も読んできた経験からわたしは、テクストを解剖したり、過度に「精読(クロース.リーディング)」をすることがテクストの魔力…
「あらゆるテクストは、読者に自分の仕事の肩代わりを要請する怠惰な機械なのです。」ウンベルト.エーコ(和田忠彦訳) 『エーコの文学講義 小説の森散策』1996 p.6
「三島由紀夫の自決にたいして、小林がきわめて倫理的であったのは、小林が歴史を倫理化するのに大衆をいかに抽象したかという、その抽象の分量を示していると思われる。三島と大衆との裂け目、つまり歴史と大衆との裂け目、これが小林秀雄と吉本隆明、江藤…