2012-05-01から1ヶ月間の記事一覧

子どものためと思ってやっている開発事業が自然破壊につながってゆく

「「人間の心のなかの自然」となると、話は本当に難しい。何と言っていいのかわからないのが実情ではないだろうか。しかし、破壊されている側からの言い分は少しは伝えることができる。たとえば、お父さんもお母さんも社会人として立派に生きている。子ども…

死者の目でこの地上を見ることはできぬ

「たとい自殺の決心がどのような強固なものであろうと、人は生前に、一刹那でも死者の目でこの地上を見ることはできぬ筈だ。」三島由紀夫 『盗賊』

科学は我々に止まることを許して呉れた事がない

「人間の不安は科学の発展から来る。進んで止まる事を知らない科学は、かつて我々に止まることを許して呉れた事がない。」夏目漱石 「行人」

手をひっくり返して眺めて鬼気迫るなどとは

「自分の罪を考える、それが文学の中で本当の意味を持つのは、具体的な行為として倫理的に発展して表われるところにあるので手をひっくり返して眺めて鬼気迫るなどとはボーンという千万無量の鐘の思いと同じこと、海苔をひっくり返して焼いて、味がどうだと…

この点に冗談ごとどころではない剽窃の理論の、基礎がある

「かれ(ブレヒト)にとっては文学は、作品ではなくて装置であり、道具であって、高度化すればするほど変形や解体や転換の可能なものとなってゆく。偉大な規範的文学、とくに中国文学の考察からかれは、文学に提起される最高の要求が引用可能性であることを、…

批評は安直なお上品さから遠ざかれば遠ざかるど厳正なものになる

「批評という形式は、安直なお上品さから遠ざかれば遠ざかるほど、そしてある作品のまさにアクチュアルな局面に決然としてかかわってゆけばゆくほど、厳正なものになる。」ヴァルター・ベンヤミン 「ベルト・ブレヒト」 『暴力批判論』岩波文庫 1994

歓びのない労働は下賎である

「歓びのない労働は下賎である。悲しみのない労働もそうである。労働のない悲しみは下卑である。労働のない歓びもそうである。」ジョン・ラスキン 「胡麻」(講演)

不正の存在を前に沈黙する人々は、不正の共犯者

「悪い命令であることを承知しながら、それを甘んじて受ける人々は、悪い命令の甘受を勧めることになる。不正の存在を前に沈黙する人々は、まさしく不正の共犯者にほかならない。」ジョン・ラスキン 「近代国家における自由」

村はずれは異国であり、天国であり、地獄であり、異物の溜り場

「柄谷 昔、ポール・アンドラが、日本の近代文学のボーダー(境界)について論じたとき、空間的な感覚が『源氏物語』の頃とあまり変わってないということを言っている。あの世も、あの世としてきちっと構成されていない。それが地面の下にあるのか、天上にある…

日本の小説は何で守られているか

「日本の小説は何で守られているかと言うと、日本語で守られているわけですよ。今までは日本文学が世界的な文学になるためには日本語が障害だったはずです。しかし今や、日本の小説は日本語によって守られているという感じがする。」柄谷行人・岩井克人『終…

嫉妬心を少しも持たず、友人の成功を喜ぶ

「嫉妬心を少しも持たず、友人の成功を喜ぶ強き性格の持主は皆無なり。」アイスキュロス 『断片』

幸福に、その生命を終えし者のみが幸福

「幸福なる状態において、その生命を終えし者のみを幸福なりと考うべし。」アイスキュロス 『アガメンノン』

正しき思慮こそ最上の贈り物

「正しき思慮こそ神の最上の贈り物なり。」アイスキュロス 『アガメムノン』

神の最初の法

「命令は神の最初の法である。」アレクサンダー・ポープ 「人間論」

宗教…最も深い

「宗教…最も深い人間の経験の声。」マシュー・アーノルド 『文化とアナキー』

シェークスピアが精神をありのままに見た言葉だ

「「きれいはきたない、きたないはきれい」と、『マクベス』の魔女はいう。そして、これは時代の価値観の混乱を意味するよりも、シェークスピアが精神というものをありのままに見た言葉だというべきである。つまり、精神という場所ではどんな奇怪な分裂も倒…

人間の内部という自然である

「自然という言葉において彼がアクセントを置いているのは、明らかに人間の内部という自然である。すなわち彼は精神というものを自然としてみようとしたのである。」柄谷行人 「マクベス論」『意味という病』講談社文芸文庫 1989 p.9-10

どの詩人とも似ていないところを強調したがる傾向

「…ある詩人を賞讃するとき時にその詩人の作品の中でほかのどの詩人とも似ていないところを強調したがる傾向である。詩人の作品に見られるこういう局面あるいは部分をあげて、われわれは個人的なものつまりその人の特質を見つけ出したような顔をする。詩人が…

イギリスでは伝統についてのべることはめったにない

「イギリスの書物では、伝統ということについてのべることはめったにない、伝統がないことを嘆いて伝統という名前を出すことが時々あるくらいだ。」T.S.エリオット 「伝統と個人の才能」『文芸批評論』冒頭書き出し p.7 岩波文庫 1938