そんなにすぐれた特殊性とはいえないものなんじゃないかと、ぼくは思いますね。

「そう、講壇哲学。だから、カントからフィヒテが出てきて、フィヒテからシェリングシェリングからヘーゲルが出てくるという筋道は、たしかにふつうに哲学史でやるように論理的な問題の展開として追いかけることはできるわけです。…ああいう形はまことにドイツ的な特殊性、しかもそんなにすぐれた特殊性とはいえないものなんじゃないかと、ぼくは思いますね。」
生松敬三/川村二郎「ヘーゲルの時代」対話 現代思想 1978 12 p.192