フォイエルバッハ『キリスト教の本質』より

「無からの創造が自然な哲学にとっては、空虚であればあるほど、無からの創造の『思弁的』意義はそれだけ一層深くなる。なぜなら、無からの創造はまさに何らの理論的支えを持たないゆえに、思弁に恣意的で無根拠なこじつけや詭弁を無限に活躍させる余地を与えるからである。」

フォイエルバッハ
キリスト教の本質』