柄谷行人「歴史的感覚について」p.28

「アルファベットになれた彼らにとって、文字あるいは書き言葉は二次的なものでしかない。書き言葉(エクリチュール)そのものがもつ位相が彼らには見えないのだ。それを音声的なものに還元してしまう暴力性が、彼らにはごく自然なことなのである。それに対して、構造主義を批判し、いわば言葉を言葉として回復しようと苦闘しているデリダドゥルーズのような反西洋的な思想家もまた、結局はその重圧の下にいることを忘れてはならない。それは、根本的にわれわれと"異質"な出来事であって、それを見ないと、いずれにしろ奇妙な錯覚が生じるのである。」

柄谷行人
「歴史的感覚について」p.28
『反文学論』講談社学術文庫 1991