そういうデカルト自身もまったくおなじ理由で〈考えること〉の〈起源〉になった

「〈感ずること〉においてわたしたちの伝統はとおく深いが〈考えること〉においてわたしたちの起源はちかく浅い。古典近代の〈考えること〉の起源の時期に、デカルトは知的な資料の積み重ねを拝し、先立つ思考をとおざけて「ただひとり闇の中を歩む者のようにゆっくりと行こう」(『方法序説』第二部)とおもいきめた。〈考えること〉の範囲にはいってくるすべての事物は、おなじ仕方でつながっているから〈真〉でないものを避け、そのうえ演繹する〈順序〉さえ間違えなければ、どんなとおく隔たったものでも、かならず到達できるし、どんな隠されたものでもかならず発見できるし、どんな隠されたものでもかならず発見できる。これがデカルトの確信だった。当然いちばん単純で、認識しやすいものが、デカルトの〈起源〉にやってきたのだが、そういうデカルト自身もまったくおなじ理由で〈考えること〉の〈起源〉になった。」

吉本隆明『言葉からの触手』河出文庫 p.85-86