その婦人が、自殺前、「夫に済まぬ、夫に済まぬ」と言って泣きいたり

「さる二三日の本紙に、不注意のため乳房にてわが子を窒息せしめたる母親が、良心の呵責にたえずして、ついに自殺したという哀れの物語が載せてある。しかるに、その婦人が、自殺前、「夫に済まぬ、夫に済まぬ」と言って泣きいたりとあるを見て、我輩は少しくもの足らぬ感じが起こった。(略)元来、子は親の望みどおりに作られるものではない。ほしいと思ってもできず、ほしくないと思ってもできる。ここにおいて子は不可思議なる神霊であるという考えが起こらねばならぬ。この社会のために、この社会の推運のために、我々の後継者として、次の時代の組織者として、産まれる者であるという考えが起こらねばならぬ。しからば子は決して親の所有物ではなく、しばらく社会のために大切なる神霊を預かっていると考えらるであろう。かくのごとく考えられたる子を、もしあやまって殺した場合には、必ず「本人たるその子(すなわちその神霊)に対して済まぬ」、「社会に対して済まぬ」という考えが起こらねばならぬはずである。(略)されば、この婦人に対しては、少しも責
むべきところを見出さざれど、かくのごとき思想の根本の誤謬を正さぬ時は子に対する親の尊敬、
社会に対する親としての義務が明らかに一般人に映ってこぬ。」明治35.4.26

堺利彦「親たる者の心得」
堺利彦全集第一巻』法律文化社 1971 p.172-173