坊っちゃんに身を寄せて「世間」をやっつける楽しみを味わってきた

「私達は長い間坊っちゃんを理想化し、坊っちゃんに身を寄せてこの小説を読んできた。そのために赤シャツや野だいこそして校長達は薄汚い存在だという評価が定まってしまった。実は私達自身が赤シャツや野だいこの同類であるからこそそれらの人々を薄汚い存在とみなしてきたのである。いいかえれば明治以来私達は、私達を拘束している「世間」の存在に感づいていたにもかかわらず、それを対象化することができず、そのために坊っちゃんに身を寄せて架空の世界の中で「世間」をやっつける楽しみを味わってきたのである。」

阿部謹也
『「世間」とは何か』講談社現代新書 1995 p.192