2007-05-28から1日間の記事一覧

ジェラール・ジュネット

「テクスト、それはあのメビウスの環である。そこでは、内側の面と外側の面、記号表現の面と記号内容の面、エクリチュールの面とレクチュールの面が、休みなく回転し交替する。そこでは、エクリチュールが絶えず自らを読み、レクチュールが絶えず自らを書き…

テクストは、常に、すでに読まれたものとして

「テクストは、常に、すでに読まれたものとして我々の前に現れる;我々は、テクストを以前の理解の沈殿層を介して理解するか、 −もし、テクストが真新しいものならば− 沈殿している読む習慣と、継承された理解の伝統によって育まれた範疇を介して、理解する…

ジル・ドゥルーズ

「意識はけっして自己[ソワ]の意識ではなく、意識的でない自己に対する自我[モワ]の意識である。それは主人の意識ではなく、主人に対する奴隷の意識であって、主人は意識的である必要がない」 ジル・ドゥルーズ『ニーチェと哲学』p.65

木村敏

「横に拡(ひろ)げれば自分と他人の〈あいだ〉になり、縦に折り畳めば自分と自分の〈あいだ〉になるような〈あいだ〉、それが自己という現象を成立させている」 木村敏

記号の形態は、まず第一に、

「記号の形態は、まず第一に、人々の社会的組織や、人々が相互に作用しあう際の身近な条件によって規定されている。」 ミハイル・バフチン

そこでは内部に書かれたある言語が別の言語を

「そこでは内部に書かれたある言語が別の言語を相対化し、脱ー中心化する。言説のひとつの形式が別の形式を侵犯し、潰乱し、引用し、枠に入れ、パロディ化し、撤退させるのである」 イーグルトン「ヴィトゲンシュタインの友人たち」室井尚訳、『現代思想』19…

言語は、その歴史的存在のいかなる瞬間においても、多言語的

「言語は、その歴史的存在のいかなる瞬間においても、多言語的である。それは過去と現在との、過去のさまざまな時代間の、現在のさまざまな社会・イデオロギー集団間の、さまざまな思想、流派、グループ間の、社会的・イデオロギー的矛盾の共存が具体的にあ…

ジェラール・ジュネット

「あらゆる書物、あらゆるページが、それなりのかたちで読書の視線の下に展開され完成される、言語空間の詩である。あらゆる文学作品ないし文学作品のあらゆる部分を、まずテクストとして考えるという決断、すなわちページや巻という逆説的な場の中で、書き…

テキストというものは、情況、時間、場所、そして社会などの中に絡め取られている

「重要な点は、テキストというものは、このうえなく純化された形を帯びている場合ですら、つねに情況、時間、場所、そして社会などの中に絡め取られているということ、要するにテキストというものは世界無い存在であり、したがって世界内的情況に関わるもの…

テキストには中心点もなければ中心軌道もない。

「テキストには中心点もなければ中心軌道もない。それは空間的・時間的な物体とは異なる。その〈声〉は物語るペルソナというよりも、むしろいたずら書きのペンのようである。作家の視点からすれば、テキストはページの上のインク、紙の折り目、マラルメの言…

意識的あるいは無意識的に、その間テクスト性において、

「私は、諸作品がその差異、その偏差(間テクスト性のような)において考察された場合の、諸作品の形作る空間と、生産者および、雑誌、出版社、等々の生産の制度・機関が形作る空間の間には、かなり厳密な対応関係、一種の騒動関係が存在すると、みています…

題目、最初の出だし、最終行のかなたに、

「題目、最初の出だし、最終行のかなたに、またその内部構成やその自立的形体を越えて、他の本、他のテクスト、他の文章を参照するシステムの中で、それは捉えられる:それは、ネットワークの節(ノード)である‥‥。本は、自由になる客体ではない‥‥。その個…

文学作品は、全て“書き直されている”

「文学作品は、全て‥‥無意識の内に、それらを読んだ社会によって“書き直されている”」 テリー・イーグルトン1983,12

相互テクスト性という用語は、

「相互テクスト性という用語は、ある(ないしいくつかの)記号体系からもう一つの記号体系への転移を表す。しかしこの用語が往々にして、あるテクストの「典拠の研究」というありきたりの意味に受け取られてきたことを考えると、われわれはそれに替えて転移=…

ある記号体系からもう一つの記号体系への移行

「ある記号体系からもう一つの記号体系への移行である。この移行が行われるときに力点移動と圧縮がそこに結びつくからといって、それだけが操作の全体だということにはならない。その上に定立をもたらす措定の変形がつけ加えられる。古い措定が破壊され、も…

テクストの最小単位としての言葉のあり方は、

「このように、テクストの最小単位としての言葉のあり方は、構造モデルを文化的(歴史的)環境に結びつける媒介項であると同時に、通時態を共時態(文学構造)に変換する調整項でもあることがわかる。このあり方という観念自体によって、言葉に広がりが生じ…

どのようなテクストも様々な引用のモザイクとして形成され、

「すなわち、どのようなテクストも様々な引用のモザイクとして形成され、テクストはすべて、もう一つの別なテクストの吸収と変形に他ならないという発見である。相互主体性という考え方に代わって、相互テクスト性という考え方が定着する。そして詩的言語は…

書物の言説の宇宙においては、受け手はもっぱら言説それ自体としてそこに含まれている。

「しかし、書物の言説の宇宙においては、受け手はもっぱら言説それ自体としてそこに含まれている。したがって、受け手は、作家が自分自身のテクストを書くときに照合するあの別な言説(別な書物)と融合している。それゆえ、水平の軸(主体−受け手)と垂直の…

テクストにおける言葉は、それに先立つあるいは同時点の文学資料の全体へと向けられている。

「言語における詩的機能を空間的に把握しようとするなら、まずもって、意味素集合と詩的シークエンスのさまざまな操作が実現されてゆくテクスト空間の三つの次元を明確にしなければならない。その三つの次元とは、書く主体、その受け手、外部のテクスト(対…

テクストにおける言葉は、それに先立つあるいは同時点の文学資料の全体へと向けられている。

「文学のテクストは今日では、言説としての、科学、イデオロギー、政治の表面を突き抜けて、それらをつきあわせ、広げ、鋳直すことを目指している。テクストは、多元的で、時に多言語的で、たいていは多声的(テクストが連結する言表のタイプはさまざまなの…

超-切片的レヴェルに従属するところから、小説の言表は小説という生産物全体の内部で

「こういう超-切片的レヴェルに従属するところから、小説の言表は小説という生産物全体の内部でつなぎ止められるのである。だから、小説の言表を研究すれば、まず、それらの累計額ができあがるだろうし、第二段階では、それら言表の小説外的由来を探究するこ…

テクストを一つのイデオロギー素として受け入れるならば、

「あるテクストを一つのイデオロギー素として受け入れるならば、記号学の方法自体も定まる。すなわち、記号学はテクストをテクスト間相互関連性として研究するのであるから、それを社会および歴史(という各テクスト)のなかで考究することになる。一テクス…

諸々の言表を消化吸収したり、外部の諸テクストの言表を参照したり

「ちなみに、所与のテクスト組織はその空間の中に諸々の言表を消化吸収したり、あるいは、外部の諸テクスト(記号論的実践)の空間の中で諸々の言表を参照したりする。」 ジュリア・クリステヴァ『テクストとしての小説』谷口勇訳、国文社、1985年

イデオロギー素としてのテクストの概念 記号学の問題の一つ

「イデオロギー素としてのテクストの概念 記号学の問題の一つは、旧来の修辞学的なジャンル区分をテクストの類型学で置き換えることにある。言い換えれば、テクストのさまざまな組織を、これら組織の一部をなしていると同時に、これら組織も今度は逆にその一…

先行の、もしくは共時的な、多種の言表類型と関連づけることによって、

「…テクストとは、端的な情報を目指す伝達的な言葉(パロル)を、先行の、もしくは共時的な、多種の言表類型と関連づけることによって、言語(ラング)の秩序を配分し直す超-言語的装置である、と定義しておく。したがって、テクストは一種の生産性なのであ…

「ぼくはつねに真実を語る嘘つきだ」

Comprenne qui pourra :Je suis un mensonge qui dit toujours la vérité. Jean Cocteau,Le Paquet rouge 「わかる人にはわかってほしい、「ぼくはつねに真実を語る嘘つきだ」ということを。」

ナゾノ…