2008-08-01から1ヶ月間の記事一覧

私が逝くか

「この壁紙が逝くか、私が逝くかだ」 オスカー・ワイルド 遺言

彼自身はほとんど興味を示してはいない。

「実を言えば、彼(ド・マン)自身は内在的批評対外在的批評といった、この先もおそらく永遠に反復されるであろう議論にも、また両者の和解にもほとんど興味を示してはいない。」 土田知則「『読むことのアレゴリー』を読む(1)」 千葉大学人文研究第33号p.273

わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬ

「わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人の釣舟」 小野篁

〔正座の部〕一本目「前」

「〔正座の部〕一本目「前」 〔要義〕対座している敵の殺気を感じ、機先を制して「こめかみ」に抜きつけ、さらに真っ向から切り下ろして勝つ。」 財団法人全日本剣道連盟『全日本剣道連盟居合(解説)』p.12

もう家に帰りたい。泣かないぞ。

「もう家に帰りたい。泣かないぞ。おれは最善を尽くしたんだ。いや、そんなこと言ってもムダだ。この憂鬱からおれは逃げられない」 ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ ライアン・マッケイ&クリス・メイナード監修(伴田良輔訳)『世にも奇妙な遺言集』ブルース・イ…

テクスト中心主義者と捉えられがちなド・マン

「…誰よりもラディカルなテクスト中心主義者と捉えられがちなド・マンの関心が、内在的批評陣営と外在的批評陣営との対立というニ項的な議論反復とは明らかに別の位相にあるにあることを示唆している。」 土田知則「『読むことのアレゴリー』を読む(1)」 千…

ディコンストラクションは、そもそも最初からテクストを構成していた

「ディコンストラクションとは、われわれがテクストに付け加えた何かではなく、そもそも最初からそれがテクストを構成していたのである」 ポール・ド・マン『読むことのアレゴリー』p.17

ロマン・ロランの名は私には無限に人間的なものの生きた象徴として見える。

「ロマン・ロランの名は私には無限に人間的なものの生きた象徴として見える。七・八年このかた私は常に此の象徴を生活から離さない。」 片山敏彦『限りなく人間的なるもの』冒頭

「じゃーねー」

「じゃーねー」 アレン・ギンズバーグ遺言 1997没

イェイツの詩を読むド・マン

“How can we know the dancer from the dance?” ウィリアム・バトラー・イェイツ「学童たちの間で」最終行

私は少年に過ぎないと思ってきた

「世間が私をどう見ていたのかは分からない。しかし私自身は、自分のことを、目の前の偉大な真実の海にはあらゆる新発見が隠れているというのに、浜辺で滑らかな小石やきれいな貝殻を見つけて楽しんでいる少年に過ぎないと思ってきた」 アイザック・ニュート…

私を理解してくれた人間

「私を理解してくれた人間は一人だけだった。そして彼でさえ本当に理解してはいなかった」 ヘーゲル 1831年没

『源氏物語』の五十四章が、私の五十四の日々を埋めつくした。

「一九四三年の夏は私にとつて一連の輝かしい祝祭だつた。『源氏物語』の五十四章が、私の五十四の日々を埋めつくした。日本文學史上最大のロマンが、生き難い生に對して、生きる理由を與へてくれた。」 中村眞一郎『『源氏物語』−ひとつの顔』冒頭

証拠は、もう存在しない

「私が作家であったという証拠は、もう存在しない」 フランツ・カフカ 1924年没 原稿と手紙を全部燃やすように頼んでライアン・マッケイ&クリス・メイナード監修(伴田良輔訳)『世にも奇妙な遺言集』ブルース・インターアクションズ 2005

日本でバルザックに親炙したものがあつたらうか。

「誰か日本で、フローベールに心酔するやうに、ドストエフスキーに憑かれるやうに、深くバルザックに親炙したものがあつたらうか。僕はここから自分の問ひをはじめる。」 寺田透『バルザック斷章』冒頭

おお救世主よ!

「おお救世主よ!あなたが用意した風呂は何と冷たいのだろう」 ユグルタ(アフリカ北部の古王国ヌミディアの王。紀元前104年死亡)ライアン・マッケイ&クリス・メイナード監修(伴田良輔訳)『世にも奇妙な遺言集』ブルース・インターアクションズ 2005

50歳でふさわしい顔

「50歳で人は自分にふさわしい顔になる」 ジョージ・オーウェル1950年没 47歳ライアン・マッケイ&クリス・メイナード監修(伴田良輔訳)『世にも奇妙な遺言集』ブルース・インターアクションズ 2005

たとえ1000年たっても、

「たとえ1000年たっても、ドイツの犯した罪は消えないだろう」 ハンス・フランク ナチ戦犯 1946年絞首刑

プロスペロが魔法の杖を一振りする。するとこの世界が一變する。

「プロスペロが魔法の杖を一振りする。するとこの世界が一變する。人々は叫ばないではゐられない。「何といふ莊嚴な幻像。魅するやうな調和の音楽。これは精靈らの爲す業なのか?」(『嵐』第四幕第一場)」 中村眞一郎『嵐−夢の構想力について』冒頭

漱石が知的な作家であるといふ傳説は、永く巷説に流布してゐる。

「漱石が知的な作家であるといふ傳説は、永く巷説に流布してゐる。「教養の豊富さ」が「作品の中に溢れ出」てゐるから結構だといふ説もあるし、それだから有難く戴けないといふ説もある。」 加藤周一『夏目漱石に於ける現 殊に「明暗」に就いて』

一人の詩人が偉大であるといわれる時、その偉大さというものがどういう點

「いつたい一人の詩人が偉大であるといわれる時、その偉大さというものがどういう點を指していうのか、それは決して明瞭ではないと思うのです。」 深瀬基寛『エリオットの新しさについて』冒頭

そういう名称を知ろうと知るまいと比較文學になる

「比較文學ということがこの頃言われるようになつたが、文學に就て考え始めればそういう名称を知ろうと知るまいと比較文學になる。」 吉田健一『日本で文學が占めている位置』冒頭

土に還るんだよ

「土から来たんだから、土に還るんだよ」 トルストイ 高齢でできた子が七歳で病死し埋葬されるとき

フィクションという言葉は虚構だとか假構だとか、

「フィクションという言葉は虚構だとか假構だとか、色々な尤もらしい意味を持つことになつているが、フィクティシャスという形容詞が贋ものを指してしか用いられないのから考えても、フィクションが結局は嘘ということの範圍を出ないものであることが解る。」…

生きてりゃ

「生きてりゃなんとかなる」 もののけ姫

夢だけど

「夢だけど夢じゃなかった!」 となりのトトロ メイ

風と共に生きよう。

「土に根を下ろし、風と共に生きよう。種と共に冬を越え、鳥と共に春を歌おう。」 天空の城ラピュタ シータのセリフ

八月十五日のことから語ろうと思う。

「八月十五日のことから語ろうと思う。二十一年前、一九四五年の八月十五日、その日のことについて、一人の作家は次のように述べている。」 小田実「平和の倫理と論理」冒頭

天下ニ恥ヂザル最期ナリ

「至烈ノ闘魂、至高ノ錬度、天下ニ恥ヂザル最期ナリ」 吉田満『戦艦大和ノ最期』末尾 初稿版 (上記初稿が江藤淳により発見されるまでは、「今ナホ埋没スル三千ノ骸 彼ラ終焉ノ胸中果シテ如何」昭和27年8月30日刊行版であった)

けだるい黄昏が水のように人や木からしみだす時刻であった。

「六時に久瀬はチュ・ドー通りにあるキャフェ・ブロダールへでかけた。けだるい黄昏が水のように人や木からしみだす時刻であった。」 開高健「岸辺の祭り」冒頭