ポール・ド・マン

結論:ヴァルター・ベンヤミンの「翻訳者の使命」

「翻訳者は 定義からして 低賃金であり、 定義からして 過剰労働であり、 彼がたまたま 詩人である場合を除いては (そんなことがしょっちゅうあるわけではないのですが)、 定義からして 歴史が彼を 原作者と同等のものとして 残してくれることもないでしょう…

翻訳者は最初から失敗する運命なのです。

「…翻訳者は その定義からして 失敗するということです。 翻訳者は 原作と同じことはできないのです。 どんな翻訳も その原典に対しては 2次的なものであり、 翻訳者は それゆえに最初から 失敗する運命なのです。」ポール・ド・マン 「結論:ヴァルター・ベ…

批評と同様に文学は−両者間に違いがあるとするのは幻想だ−、

「批評と同様に文学は−両者間に違いがあるとするのは幻想だ−、人間がそれによって自己を名づけ変形する、もっとも厳密であるが故に、またもっとも信頼しがたい言語であることを永久に宣告されて(あるいは、特権づけられて)いる」 ポール・ド・マン『読むこと…

比喩的な潜在可能性を文学そのものと同等視

「私は言語のレトリック的、比喩的な潜在可能性を文学そのものと同等視することに何らためらいを覚えないであろう」 ポール・ド・マン『読むことのアレゴリー』p.10

文学は単に余すところなく解読されうる指示的意味

「文学は単に余すところなく解読されうる指示的意味(referential meaning)の明確な一装置としては考えられない。」ポール・ド・マン『読むことのアレゴリー』p.4----------------------------- テクストの宝庫 引用の図書館 伝記グルーヴ テクスト礼讃 -----…

箱の内部を内容と呼ぼうと形式と呼ぼうと、

「箱の内部を内容と呼ぼうと形式と呼ぼうと、また外部を意味と呼ぼうと外観と呼ぼうとほとんど問題ではない」 ポール・ド・マン『読むことのアレゴリー』p.5

ディコンストラクションは、そもそも最初からテクストを構成していた

「ディコンストラクションとは、われわれがテクストに付け加えた何かではなく、そもそも最初からそれがテクストを構成していたのである」 ポール・ド・マン『読むことのアレゴリー』p.17

ポール・ド・マン

「なるほどヨーロッパ文明は随所にユダヤ系の痕跡を残してきたものの、その根源性だけは無事だったために、本質的意味においては無傷のままであった。ユダヤ問題解決のためには、どこかヨーロッパから離れたところにユダヤ人植民地を造ればよい。西欧文学全…

Paul de Man

It appears that philosophy either has to give up its own constitutive claim to rigor in order to come to terms with the figurality of its language or that it has to free itself from figuration altogether.(哲学は、自らの言語の比喩性と折り…

Paul de Man

All philosophy is condemned, to the extent that it is dependent on figuration, to be literary.... (哲学はどれも、その企てが比喩表現に依存している限り、文学たることを免れ得ない) de Man, 1996, p.50

ポール・ド・マン

「サミュエル・ウェーバーは彼の同世代の人々のなかでは、ドイツ、フランス、アメリカにおける現代の文学理論やその先行者の諸著作について等しく精通し、じかに学んできた、おそらく唯一の人物である。精神分析への彼の理論的関心が寄与している視点からは…

ポール・ド・マン

「ビンスヴァンガーの仕事は批評的かつ哲学的な方法によってなされています。…ハイデガーやブランショの作品 のなかでも哲学的方法と批評的方法との間に区別を設けようとすることが理解できません。…優れた批評的方法 はすべて、私にとっては、哲学的方法で…

ポール・ド・マン

「…もっと先へ進むことであり、フォルムの構造から出発して、それらの構造を決定している意図に辿り着くことです それが批評家としてのわれわれのつとめです。それはわれわれが経験的にしか果たしえないつとめであり、さまざ まな作家たちのそれぞれ独自なフ…

ポール・ド・マン

「書くという行為は、他者にむかってなされる行為、どんな形ででも他者を目標とする行為ではありません。」 「ルートヴィッヒ・ビンスヴァンガーと詩的自我の問題」プーレ編『現代批評の方法』

ポール・ド・マン

「<窓のないモナドとしての作品>とは、…世界にむかうかわりに、おのれ自身の上に閉じる運動として考えられた意識です。」 「ルートヴィッヒ・ビンスヴァンガーと詩的自我の問題」プーレ編『現代批評の方法』

ポール・ド・マン

「読むことの不可能性はあまり軽々しく受け止めるべきではない」 (AR,p.245)

ポール・ド・マン

「読むことの問題、つまり解釈的あるいは解釈学的な契機を故意に回避すること。それは、構造的であれテーマ的であれ、形式的であれ対象支持的であれ、アメリカ的であれヨーロッパ的であれ、非政治的であれ社会参画的であれ、文学的分析のありとあらゆる方法…

ポール・ド・マン

「意図のない、そして自他に害のない嘘をつくことは嘘をつくことに当たらない。それは嘘ではなくて、つくり話(fiction)なのだ」 (AR,p.291)

ポール・ド・マン

「認識する機能は、主体にではなく、言語にある」 『死角と明察』7章