子どものためと思ってやっている開発事業が自然破壊につながってゆく

「「人間の心のなかの自然」となると、話は本当に難しい。何と言っていいのかわからないのが実情ではないだろうか。しかし、破壊されている側からの言い分は少しは伝えることができる。たとえば、お父さんもお母さんも社会人として立派に生きている。子どもは父母の言いつけどおり、勉強したり、行儀よくしたりしていると、ほめて貰える。ところが、少しでも自分の好きなこと、泥あそびなどをすると、きたないからやめなさい、と言われる。泥あそびどころか、たとい皆が普通にしていることでも、父母の枠の外に少しでもはみ出るようなことは禁止され、それを犯したときは、冷たい拒否を経験させられる。こんな場合、外から見ると、普通のというよりは立派な親子に見えることだろう。親もそう確信しているだろう。しかし、子どもの側からすると、何かしら不自然なのである。子どもは何かが足りない、と感じたり、何か変だと思ったりするが、その「何か」が言えない。言葉では言えないのである。しかも、この際、親は子どもを窮地に追いこんでいるなどとは思わず、子ど
ものために自分は努力していると思いこんでいる。子どものためと思ってやっている開発事業が、
自然破壊につながってゆくのである。自然破壊が進行すると、子どもたちは言葉によらないいろんな「サイン」を送りはじめる。それをキャッチすることが、大人にとって非常に大切であるように思われる。」

河合隼雄
「心のなかの自然破壊を防ごう」
『こころの処方箋』より 新潮社文庫 平成10年 p.41