2009-01-01から1ヶ月間の記事一覧

神は汝の中にあり。

「神を雲のかなたに求めるなかれ、神は汝の中にあり。」ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ 〜テクスト礼讃〜 http://fiderio.blog68.fc2.com/blog-category-143.html

敵を知り

「敵を知り、己を知れば百戦危うからず。」孫子 〜テクスト礼讃〜 http://fiderio.blog68.fc2.com/blog-category-143.html

桜の樹の下には屍体が埋まっている!

「桜の樹の下には屍体が埋まっている!これは信じていいことなんだよ。なぜって、桜の花があんなにもみごとに咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。桜の樹…

知らぬことを知っているように空想して知っていると思いこむ

「己れを知らざることや、知らぬことを知っているように空想して知っていると思いこむことは、狂気にもっとも近い。」クセノフォーン『ソークラテースの思い出』 〜テクスト礼讃〜 http://fiderio.blog68.fc2.com/blog-category-143.html

偶然とはひっきょう神のことに

「人においては偶然を考慮に入れなければならない。偶然とはひっきょう神のことになる。」アナトール・フランス 〜テクスト礼讃〜 http://fiderio.blog68.fc2.com/blog-category-143.html

えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧え

「えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧えつけていた。焦燥と言おうか、嫌悪と言おうか──酒を飲んだあとに宿酔があるように、酒を毎日飲んでいると宿酔に相当した時期がやってくる。それが来たのだ。」梶井基次郎『檸檬』冒頭 〜テクスト礼讃〜 http://…

「世界秩序」が抱える十の傷口への苦しみそして同情

『マルクスの亡霊たち』原著pp.141-142で語られる「新たなインターナショナル」についてデリダはこう語る。「このインターナショナルは今日、『マルクスの亡霊たち』でわたしが列挙した「世界秩序」が抱える十の傷口への苦しみそして同情という姿をとります…

道路でしてはいけないことなど(道路交通法第76条)

「4.道路でしてはいけないことなど(道路交通法第76条)(1)道路上で次のような危険なことをしてはいけません。●酒に酔ってふらついたり、立ち話をしたり、座ったり、寝そべったりなどして交通の妨げとなること。 ●交通量の多いところでキャッチボールやローラ…

他人の自我にたえず耳を貸さねばならぬ=読書

「他人の自我にたえず耳を貸さねばならぬことそれこそまさに読書ということなのだ」フリードリヒ・ニーチェ2009年1月11日産経新聞15面広告に引用

…毎日を左でありつづけることは、これはもう間違いなく、けっして容易なことではありません。

「…最小の公理です。左翼とは、未来を肯定し、変化する欲求であり、それも最大限可能な正義の方向に向かう変化の欲求です。(中略)…右翼はけっして変化や正義を、その活動の第一の原動力とすることも、その原理とすることもないということです。(中略)…左翼は…

レコーディングしていたスタジオからの帰途に交通事故

「彼が“アンビエント”というコンセプトに思い至ったのは、 1975年のこと。その年の1月18日に彼は、 フィル・マンザネラのソロ・アルバム『ダイヤモンド・ヘッド』を レコーディングしていたスタジオからの帰途に交通事故に遭い、 頭に17針縫う怪我を負ってし…

クオ・ヴァディス・ドミネ

「クオ・ヴァディス・ドミネ(主よ、どこへいかれるのですか)」Quo Vadis,Domine?ヘンリック・シェンキウィッチ『クオ・ヴァディス』このセリフは、新約聖書「ヨハネによる福音書」第16章で、 「どこへいかれるのですか。」とペテロがキリストにこう尋ねる場…

人間は宗教の起点〜終点

「人間は宗教の起点であり、宗教の中点であり、また宗教の終点である。」フォイエルバッハ 〜テクスト礼讃〜 http://fiderio.blog68.fc2.com/blog-category-143.html

好きこそ物のじょうず

「上根とけいこと好きと三つのうち、好きこそ物のじょうずとは、芸能修業の教えの金言」歌舞伎『菅原伝授手習鑑』 〜テクスト礼讃〜 http://fiderio.blog68.fc2.com/blog-category-143.html

私が羅臼を訪れたのは、散り残ったはまなしの紅い花弁と

「私が羅臼を訪れたのは、散り残ったはまなしの紅い花弁と、つやつやと輝く紅いその実のいっしょにながめられる、九月なかばのことでした。今まで、はまなし(はまなすと呼ぶのは誤りだそうです)の花も実も見知らなかった私にとり、まことに恵まれた季節で…

ひとは女になるのだ。

「ひとは女には生まれない。女になるのだ。……文明の全体が人間の雄と、去勢物の中間のものを女性と呼んでいるのだ。」ボーヴォワール 〜テクスト礼讃〜 http://fiderio.blog68.fc2.com/blog-category-143.html

想像力>>知識

「想像力は、知識よりも大切である。」アインシュタイン 〜テクスト礼讃〜 http://fiderio.blog68.fc2.com/blog-category-143.html

少年時代、心中することのみを私の生の唯一の意味

「私は遠い少年時代、心中することのみを私の生の唯一の意味と考えておりました。自己否定によるところの生のアウフヘーベンの唯一のかたちと思いこんでいたのです」武田泰淳『自立と選挙』 〜テクスト礼讃〜 http://fiderio.blog68.fc2.com/blog-category-1…

善人となるには勇気と力が要る。それが私に欠けている

「私は常に自分が善人であり得ないことに苦しみます。(と言うことにしておきます)善人となるには勇気と力が要る。それが私に欠けているからです」武田泰淳『勧善懲悪について』 〜テクスト礼讃〜 http://fiderio.blog68.fc2.com/blog-category-143.html

子どもを不幸にするいちばん確実な方法

「子どもを不幸にするいちばん確実な方法はなにか、それをあなたがたは知っているだろうか。それはいつでもなんでも手に入れられるようにしてやることだ。」ジャン=ジャック・ルソー『エミール』 〜テクスト礼讃〜 http://fiderio.blog68.fc2.com/blog-cate…

悪魔でも聖書を引く

「悪魔でも聖書を引くことができる、身勝手な目的にな。」ウィリアム・シェイクスピア『ヴェニスの商人』 〜テクスト礼讃〜 http://fiderio.blog68.fc2.com/blog-category-143.html

『論語』から。

「学んで思わざれば則ち罔し。思うて学ばざれば則ち殆うし。」『論語』 〜テクスト礼讃〜 http://fiderio.blog68.fc2.com/blog-category-143.html

ラモーンズは過激で、タフで、剥き出しで、本能的で、型破り。音楽はシンプル、コンセプトは複雑

「彼らはポール・マッカートニーのシルヴァー・ビートルズ時代の芸名ポール・ラモーンから名前を拝借した。8月頃には、ラモーンズはCBGBでショウを行なうまでになっていた。バウリーにあるこのバーはかつてはカントリー/ブルーグラスの店であった。テレヴィ…

良識ある人間にとって

「良識ある人間にとっては、帝国史だってヨーロッパでいちばん小さな国の歴史以上に知っている義務はなく、そんな暇があったらもっぱら良識を開発するのに役だつ有益な事柄に費すようにすべきです。」ルネ・デカルト『真理の探求』AT・X・503 〜テクスト礼讃…

小心

「小心は人びとを不決断にし、そのけった、行為の機会と最大の好機をうしなわせる。」ホッブズ『リヴァイアサン』 〜テクスト礼讃〜 http://fiderio.blog68.fc2.com/blog-category-143.html

私のアイデアは、豊富で独創的だった。

「私のアイデアは、豊富で独創的だった。量子理論を絵画的に解決することにしたり、重力を支配するために量子化されたレアリスムを発明した」サルヴァドール・ダリ 〜テクスト礼讃〜 http://fiderio.blog68.fc2.com/blog-category-143.html

漢意とは、漢国のふりを好み、かの国をたふとぶのみをいふにあらず、

「漢意とは、 漢国のふりを好み、 かの国をたふとぶのみをいふにあらず、 大かた世の人の、万の事の善悪是非を論ひ、 物の理をさだめいふたぐひ、 すべてみな漢籍の趣なるをいふ也。」本居宣長『玉勝間』

可畏き物を迦微とは云なり

「何にまれ、 尋常ならずすぐれたる徳のありて、 可畏き物を迦微とは云なり。」 本居宣長『古事記伝』神代一之

阿波礼といふ言葉は、さまざま言ひ方は変りたれども、

「阿波礼といふ言葉は、 さまざま言ひ方は変りたれども、 その意(こころ)はみな同じことにて、 見る物、聞くこと、なすわざにふれて、 情(こころ)の深く感ずることをいふなり。 俗にはただ悲哀をのみあはれと心得たれども、 さにあらず。 すべてうれしと…

吾にしたがひて物まなばむともがらも、

「吾にしたがひて物まなばむともがらも、 わが後に、 又よきかむかへのいできたらむには、 かならずわが説になゝづみそ。」本居宣長『玉勝間』玉かつま二の巻 「わがをしへ子にいましめおくやう」