中上健次

ぼくは花を真上から踏みつけすりつぶした

「部屋の中は 窓も入口の扉も しめきられているのに 奇妙に寒くて、 このままにしていると ぼくの体のなかまで 凍えてしまう気がした。 ぼくはうつぶせになって 机の上に置いてある 物理のノートに書いた地図に ×印をつけた。 いま×印をつけた家には 庭に貧…

そのまめをカミソリで殺ぐのが面白かった。

「秋幸は手をひろげて見た。 つるはしを握る時も シャベルを握る時も 手袋の類をしなかったので、 固いまめが出来ていた。 そのまめを カミソリで殺ぐのが面白かった。 秀雄と五郎の事は、 てのひらのまめを カミソリで殺ぐ楽しみを知らない者同士の、 諍い…

中上健次『枯木灘』冒頭書き出し

「空はまだ 明けきってはいなかった。 通りに面した倉庫の横に 枝を大きく広げた丈高い 夏ふようの木があった。 花はまだ咲いていなかった。 毎年夏近くに、 その木には白い花が咲き、 昼でも夜でも その周辺にくると 白の色とにおいに 人を染めた。」中上健…

頭の中心部に茨の棘で

「眠りが固まらなかった。眼窩の奥、頭の中心部に茨の棘でさしたような甘やかな痛みがあった。」 中上健次「黄金比の朝」『岬』1976 p.9

声は、届くだろうか?

「吹きこぼれるように、物を書きたい。いや、在りたい。ランボーの言う混乱の振幅を広げ、せめて私は、他者の中から、すっくと屹立する自分をさがす。だが、死んだ者、生きている者に、声は、届くだろうか?」 中上健次『岬』後記 S50

「彼(フォークナー)は一作ごとに視点を変えているけれども、それは前の作品で足りなかったところを補い、つけ加えるという以上の意味を持っていない。いいかえると、フォークナーの連作は、すべてが同一平面上に並んでいます。」 中上健次 単行本『地の果て…

中上健次

「……言葉を書くという行為はいつも、 絶えず、その小説家に様々な問を発する。 その問に答え切って再度、筆を執っているわけではない 問があまりにも切実で、だから、問そのものを書きつける事もあれば、 問の重さを支え切れず、問に圧し潰されて流れだした …

中上健次 語るということは、ウソが多いようにみえます

「歴史には、 書き文字で書かれた歴史と、 語られてきた歴史の ふたつがあると思う。 語るということは、 いかにもウソが多いようにみえますが、 本当は非常に正確だと思いますね。」 中上健次発言集成2.p61 ブログ内検索Amazon最安値でセンスの光る古本屋【…