2006-09-22から1日間の記事一覧

Paul de Man

It appears that philosophy either has to give up its own constitutive claim to rigor in order to come to terms with the figurality of its language or that it has to free itself from figuration altogether.(哲学は、自らの言語の比喩性と折り…

Paul de Man

All philosophy is condemned, to the extent that it is dependent on figuration, to be literary.... (哲学はどれも、その企てが比喩表現に依存している限り、文学たることを免れ得ない) de Man, 1996, p.50

エドムント・フッサール

「たとえデカルトの省察の動機をまさに徹底的に展開するために、かえってデカルト哲学の周知の学説内容をほとんどすべて放棄せざるをえなくなっているとしても、われわれは超越論的現象学を、一種の新デカルト主義(Neu-Cartesianismus)と呼んでさしつかえな…

斎藤慶典

「超越論的とは何を意味しているか。フッサールのこの用語の直接の先駆者は言うまでもなくカントである。カントにとって超越論的とは、まず何よりもその批判哲学の基本的態度を表すものであった。すなわち、さまざまな対象についての認識が諸学がこととする…

エドムント・フッサール

「体験された内容ないしは意識された内容と体験それ自身との間には何の相違もありはしない。たとえば感覚されたものは感覚にほかならない。(…)体験が体験それ自身とは区別されるべき対象に〈関係する〉とすれば、この対象は、今ここで確定されようとしてい…

ポール・ド・マン

「サミュエル・ウェーバーは彼の同世代の人々のなかでは、ドイツ、フランス、アメリカにおける現代の文学理論やその先行者の諸著作について等しく精通し、じかに学んできた、おそらく唯一の人物である。精神分析への彼の理論的関心が寄与している視点からは…