ハンリヒ・ハイネ

ビールを飲まなければならなくなった神も

「…自分の聖なる社を没収された神々のうちには、わがドイツで木こりとして日雇い労働をし、ネクターの代りにビールを飲まなければならなくなった神もある。」 ハインリヒ・ハイネ『流刑の神々』1980 p.128

不死なる霊は今お前のこわれやすい肉体を動かしている

「不死なる霊は今お前のこわれやすい肉体を動かしている――ではゆうれいはカントの「純粋理性批判」をつきつけられたら、どんなにふるえることだろう。この本こそドイツで超越神論の首を切った剣である。」 ハイネ『ドイツ古典哲学の本質』第三巻 哲学革命 カ…

こうしたとりあつかい方が「ローマン的」なのである。

「中世のすべての芸術はこうした「比喩的」な意味で表現されている。こうしたとりあつかい方が「ローマン的」なのである。それゆえに中世の文学には神秘的なものがあまねくただよっている。…その文学のうちのすべてのものは、うつろいゆく月光にてらされたよ…

ホメロスがギリシャの神々をつくり出したといわれている。

「ホメロスがギリシャの神々をつくり出したといわれている。それはうそだ。ギリシャの神々はホーマー以前から一定の輪郭をそなえて存在していた。ホーマーはそれらの神々の歴史をつくっただけである。」 ハイネ『ドイツ古典哲学の本質』第一巻 宗教改革とマ…

「古典的」とよぶ

「表現の形式が表現される内容とまったく一致するようなあつかい方を「古典的」とよぶのである。これはギリシャの美術品で見られることだ。ギリシャの美術品ではこうした一致のために、形式と内容との最大の調和が見いだされる。形式が内容と一致しないで、…

あの男のおかげでわれわれドイツ人が最大限の思想の自由を得た

「あの男のおかげでわれわれドイツ人が最大限の思想の自由を得たことはさきにのべておいた。ところがこのマルチン・ルターという男はわれわれドイツ人に行動の自由だけではなくて行動の手段をもあたえてくれた。たましいにからだを、思想に言葉をあたえてく…

人間は、祖先や自分が大切にしていたものを見すてようとはしない

「人間は、祖先や自分が大切にしていたものを見すてようとはしない。たとえそうしたものがこわされたり、ゆがめられたりしても、やはり人間の感情はそうしたものにこっそり、しがみつこうとする。それゆえに、あのねじまげられた民間信仰はドイツではキリス…

この学者は魔法使いとして焼きころされた

「私がここで紹介したこれらの話はドイツ人の信仰と性格とを具体的に説明している。こうした民間信仰はこれまで数百年ものあいだ教会への信仰におとらぬほどちからが強かった。あのレミギウス博士という学者は魔女について大きな本を書きあげたとき、こうし…

ドイツの民間伝説というのは、血と霧とからできていて、陰気くさく、

「君たちフランス人の民間伝説はわれわれドイツ人のそれとくらべると、なんとうつくしく、明るく、色どりにとんだものだろうか? ドイツの民間伝説というのは、血と霧とからできていて、陰気くさく、ものすごく、歯をむきだしてわれわれをにらみつけるかたわ…

フランスの文士たちはドイツのえらい学者たちにだまされて、

「フランスの文士たちはドイツのえらい学者たちにだまされて、民間信仰は中世をつうじてヨーロッパのどこでもおなじであったと思ったら、それは大まちがいだということである。善の力、つまりイエス・キリストの国についてはヨーロッパじゅうのものがみなお…

その思想方法はどこまでも革命的でありながら、そこから生まれる政治的結論はきわめて穏健

「その思想方法はどこまでも革命的でありながら、そこから生まれる政治的結論はきわめて穏健なものあり得るという実例を知るためには、この(ヘーゲル哲学の)体系の内部に含まれる幾多の必然的帰結を見るだけで十分である。このような結論に到達する思考の…

時代精神がフリードリヒ・シラーをいきいきとつかんだ。

「時代精神がフリードリヒ・シラーをいきいきとつかんだ。かれはこの時代精神と格闘した。かれはそれに圧倒され、それに服して戦い、その旗を持った。…シラーは革命の偉大な思想のために書いた。彼は精神上のバスティーュを破壊し自由の神殿の建立に献身した…

私が神の啓示をえたのは、ただ一冊の本を読んだから

「・・・ほんとうに、私を救済してくれたのは幻覚や、神々しいうっとりした気分や、天からの声や、めずらしい夢や、 そのほか何かのふしぎなもののけなどではない。私が神の啓示をえたのは、ただ一冊の本を読んだからなのだ。・・・・一冊の本だって?そうだ…

ハイネは、この両方の国において、特殊な一匹狼

「ハイネは、この両方の国において、特殊な一匹狼であり、風変わりな アウトサイダーだった。要するにどこにいても異邦人だったのだ。ドイツ人の間ではユダヤ人、フランス人の間ではドイツ人、ドイツでは排斥された者、フランスでは外国人だったのである」 …