信仰の基礎は生活の自然の要求にあって、

「信仰の基礎は生活の自然の要求にあって、強いて日月星辰というがごとき壮麗にして物遠いところには心を寄せず四季朝夕の尋常の幸福を求め、もっとも平凡なる不安を避けようとしていた結果、つとに祭りを申しつつしみ仕えたのは、主として山の神荒野の神、または海川の神を出でなかったのである。」
柳田國男『山の人生』
『定本柳田國男集』第四巻 p.171


「信仰の基礎は生活の自然の要求にあって、強いて日月星辰というがごとき壮麗にして物遠いところには心を寄せず四季朝夕の尋常の幸福を求め、もっとも平凡なる不安を避けようとしていた結果、つとに祭りを申しつつしみ仕えたのは、主として山の神荒野の神、または海川の神を出でなかったのである。」
柳田國男『農村家族制度と慣習』『定本柳田國男集』第十五巻 p.361