2008-10-03から1日間の記事一覧

悦楽という言葉は十八世紀のためのものである。

「悦楽という言葉は十八世紀のためのものである。この世紀の秘密、その魂はこの一語につきるといっていい。悦楽は十八世紀が呼吸し、それによって養育され、生命を与えられたものにほかならない。」 ゴンクール兄弟『十八世紀の女性』

今やイデオロギーなるものはなく、

「今やイデオロギーなるものはなく、シミュラークルしかない。」 ジャン・ボードリヤール

人間が主体として構成されるのは、言語のなか

「人間が主体として構成されるのは、言語のなかで、言語によってである。」 エミール・バンヴェニスト「言語における主体性」『一般言語学の諸問題�』1966

無心の位にて、

「無心の位にて、我心をわれにも隠す安心にて」 世阿弥『花鏡』

言葉が彼の文脈へ別の文脈から入り込み、他者の行なう解釈が浸透

「…彼は、その言葉を別の人の声から受け取って、その他者の声で満たされるのである。言葉が彼の文脈へ別の文脈から入り込み、他者の行なう解釈が浸透するのだ。彼自身の思考には、その言葉が既に棲みついている。」 ミハイル・バフチン 1984 201

すなわち、その間テクスト性の次元

「発話の最も重要な特徴は、というより、少なくとも最も無視されている特徴はその<対話体思考表現>、すなわち、その間テクスト性の次元である。アダム以来名無しの対象はないし、使われなかった言葉などというものは存在しない。」 ツヴェタン・トドロフ 1984…

二つの声、二つの意味、二つの表現がある。

「それは二人の話し手に同時に奉仕し、二人の異なった意図−話している人物の直接の意図と著者の屈折した意図−を同時に表現するのだから。そういう談話には、二つの声、二つの意味、二つの表現がある。」 ミハイル・バフチン「小説における談話」1981 p.324

機械的に反復される文法パターンにすべてを負う

「…言語とは、高度に特殊化された個人的創意・発明の産物とみなされている比喩の場合も含め、機械的に反復される文法パターンにすべてを負うものである、とド・マンは主張するに至るのである。」 土田知則「『読むことのアレゴリー』を読む(1)」 千葉大学人…

鶏の鳴く者有りと謂も、己に変ずること無し。

「つくせり。鶏の鳴く者有りと謂も、己に変ずること無し。之を望むに木鶏に似たり。其の徳全し。異鶏の敢へて応ずる者なく反走らん」 『荘子』達生篇 木鶏の話

言葉は、半ばは誰か他人のものである。

「個人の意識を表わす言語は、自己自身と他者との境界線上に在る。言語において言葉は、半ばは誰か他人のものである。」 ミハイル・バフチン「小説における談話」1981 p.293