福田和也

私はある時期、小林の文章を分析 、研究した

「私はある時期、 小林の文章を分析、 研究したことがあります。 その結果わかったことは、 彼の文章の構成は かなりオーソドックスだ ということです。 多くは、 「エピソード」から「情報」、 そして「描写」 と進行していく。」 福田和也 『福田和也の「…

引用のための抜書きをし、引用のノートを残した。

「自らの著書、 著作を執筆するよりも、 むしろ 引用のための抜書きをし、 執筆した量の 数倍のボリュームになる 引用のノートを残した。 つまりは 書くことにおいて 主体であるよりも、 むしろ模倣者であり、 書記であることを選んだ ベンヤミンにおいては…

人が人を、何よりも自分を眺めるという事自体に由来

「モーバッサンやリラダンらが、短編小説につきものの残酷さを、人が人を、人間が生きているという事自体に由来していると考えたとすれば、色川(武大)はその惨めさを、人が人を、何よりも自分を眺めるという事自体に由来すると考えた。」 福田和也『南部の慰…

文学者もまた、歴史を語るべきではないか、

「文学者もまた、歴史を語るべきではないか、と。それは、やはり何といっても、歴史が「物語」であるからです。」 福田和也『日本の近代(上)』新潮新書 2008 p.18

福田和也「放哉の道、虚子の道と道」

「橋畔旗亭岩も掃く日の落葉哉 碧 こう本に置かれた字は、一向に安全ではない。 橋の「木」の部分は両側のハライが奇形的に短く、縦線は肥大しつつ若干屈曲し、横線はハライの上に両生類の眼球のように突き出ている。「喬」の部分は、地滑りのように偏から脱…

江戸は、同時代のロンドンよりも大きな都市

「文化文政の頃(十九世紀前半)の江戸は、同時代のロンドンよりも大きな都市でした。大きな都市では、当然食生活や衣料も洗練されます。そして、浮世草子、俳諧、落語、人形浄瑠璃、浮世絵、陶芸、染物、さまざまな文化が花開きました。」 福田和也『日本の近…