2010-11-28から1日間の記事一覧

日本では訓読の分析がそのまま精神分析となりうる。

「日本においては、 文という装置、 訓読というプログラムをめぐる、 もっぱら言語的な分析が そのまま 精神分析となりうる。 その可能性を 暗に示唆していたのは、 他でもない ラカンである。」山城むつみ 「文学のプログラム」冒頭書き出し