2007-09-18から1日間の記事一覧

かつての吉備勢力の伝統

「吉備国も古代史の中、多くの消長をたどりながら、一時は河内王朝と対抗するばかりの勢力を持ち、その後、畿内政権の支配が強まる中でも、かつての吉備勢力の伝統を、長く律令国家成立時まで残している地域も、広い吉備地方には、存在しているのである。 吉…

吉備王国の夢は消え

「吉備国は、歴史の早い時期に、大和の王によって二度も征討を受け、吉備王国の夢は消えて行った。しかもそれだけではない。五世紀末の雄略朝のとき、吉備の国造が謀反した。 その結果、吉備一族は、想像を絶するほどの手痛い傷をうけた。」 鳥越憲三郎「吉…

造山古墳と作山古墳

「造山古墳と作山古墳、これはいつからこの名があるのか知らないが、巨大な土木建築の構築物を巧みに表現している。 造山古墳は、日本で四番目の前方後円墳で大和のどの古墳よりも雄大であるが、四番目というのは、考古学上、古墳時代とよぶ約四百年を通じて…

たしかに、吉備にはあった

「私自身も、「日本の中の朝鮮文化」を書く必要上、岡山、吉備を訪ねたのであり、それまでは、吉備などというところは、知りませんでした。 訪ねてみて驚いたことは、「吉備王朝」といわれるようなものが、たしかに、吉備にはあったということです。 たとえ…

出雲には吉備地方が含まれていた

「「書紀」にスサノオがヤマタノオロチを韓鋤の刀で斬ったとあり、この刀は「今、吉備の神部の許にあり。出雲の簸の川上の山是なり」とある。 その「出雲簸の川上の山」にあたる吉備の神部とは、赤磐郡吉井町(現赤磐市)の石上布都之魂神社で、・・・・・・、…

「吉備」という語感

「「吉備」という語感がたまらなく好きである。上古岡山県は吉備国といった。のち備前、備中、備後(備後のみは明治後広島県に編入)それに美作をくわえて四カ国にわかれたが、吉備といわれていたむかしは、出雲が大和朝廷に対する隠然たる一敵国であったよ…