人は次第に夢見る力を失い、我と我身に近いまぼろしを振棄ててしまった


「 鳥の声の聴きなしは土地によってちがい、又明白に新しく始まったものである。たとえば山鳩は「爰へ鉄砲」と啼くと言われると、成るほど聴いて居るうちには、そうとしか解せられなくなる。ところが東北では或飢饉の年に、炒粉を山畠に働いて居る父の処へ持って行く児が、中途で路草を食って居たので父は餓死してしまった。それを悲しんで此鳥になり、テデェコォケェ(父よ粉を
食え)と啼いて居るのだという地方もある。乃ち或一つの考え方が元になって、話は次々に作られて行くのである。斯ういう文芸は多くは他地方へは通用しない。乃ち作者は凡人であり自家用である場合にでも、我々の空想は是だけまで自由であった。曾ては日本に此種の文芸の盈ち溢れて居た時代もあったのである。それが限りある専門作者の才能を過信したばかりに、人は次第に夢見る力を失い、
我と我身に近いまぼろしを振棄ててしまった。殊にこの込入った学びにくい文字を通してで無いと、そういう凡俗な文芸にすらも接し得ぬことになっては、子供や女たちは全く手があいて、頭をからっぽにして日を送らなければならぬ。彼等の生活を寂寞にして置くということは、国の未来の為にうれしいこ とで無いにきまって居る。」

「夢と文芸」
柳田國男
「定本柳田國男集 第六巻」筑摩書房 1963(昭和38)年10月