日本の悲劇の因は、アジアのホ−プからアジアの裏切者への急速な変貌のうちに胚胎していた


「思えば明治維新によって、日本が東洋諸国のなかでひとりヨーロッパ帝国主義による植民地乃至半植民地化の悲運を免れて、アジア最初の近代国家として颯爽と登場したとき、日本はアジア全民族のホープとして仰がれた。日本の勃興がアジアの民族独立運動に与えた限りない刺激はいまさら述べるまでもなかろう。他方、またアジアの悲運の挽回ということが明治初年の進歩的自由主義者の夢にも
忘れえぬ目標であった。ところが、その後まもなく、日本はむしろヨーロッパ帝国主義の尻馬にのり、やがて「列強」と肩をならべ、ついにはそれを排除してアジア大陸への侵略の巨歩を進めて行ったのである。しかもその際、日本帝国の前に最も強力に立ちはだかり、その企図を挫折させた根本の力は、皮肉にも最初日本の勃興に鼓舞されて興った中国民族運動のエネルギーであった。つまり、日本
の悲劇の因は、アジアのホ−プからアジアの裏切者への急速な変貌のうちに胚胎していたのである。敗戦によって、明治初年の振り出しに逆戻りした日本は、アジアの裏切者としてデビューしようとするのであるか。私はそうした方向への結末を予想するに忍びない。」

丸山真男
「病床からの感想」p.82-83,『丸山眞男集第五巻』