「昔」はこういふ処に埋没したままで、つひに発掘せられずにしまふものも多い

北原白秋の遺作集の中には、この花の盛りを見に来た歌が、十数首も載せられて居るが、私が訪ねて行つた時にはまだ冬木で、ただ物静かな山ふところといふに過ぎなかつた。「昔」はこういふ処に埋没したままで、つひに発掘せられずにしまふものも多いことであらう。」

柳田國男「王禅寺」
「水曜手帖」『定本柳田國男集 第三巻』筑摩書房 p.26