大岡昇平「盗作の証明」青井浩・左近信行の参照する宮崎訳カミュの文章と調査した海野謙作の死

…海野は、「同一文章が二つの頭脳から創られることがあり得るかどうか」という形で問題を立てていた。
「…『騒乱のバラード』と『制度の子供たち』の問題の箇所が、A、Bとマークして、並記されていた。
A・「冷酷な夕暮が樹木のない街に落ちかかる頃、男と女たちは、街頭へ溢れ出た。陽はまだオープンセットの正面に当っていた。しかしいつもこの地域のさざめきを作っている車の通る音、なにかもののぶつかる音は絶えていたので、垂れこめた空の下に、その丘へ登って行く人たちの靴の重い足音だけが響き渡って、騒音になっていた」
B・「埃っぽい夕暮が、街に落ちかかる頃、男女学生が校門から街に溢れ出た。まだ消え残った夕陽が、キャンパスに当っていた。しかしいつもは、その坂道の騒音を形作っている車の音は絶えていた。坂の上と下は機動隊にブロックされ、車の往来がなくなっていたからだ。ただ坂の舗道を踏む学生の苦しげな靴音だけがひびいて、街の音になっていた」
そして次のようにコメントされていた。
…「AとBとに共通の祖型があり、AB双方、無意識に再生産されることは可能。自分もどこかで見たことがある文章なり」
…「一九七八年十ニ月十ニ日。遂に祖型発見。カミュ『ペスト』邦訳新潮社版。宮崎嶺雄訳。一三三頁。」C・「ここでもう一度、あの永劫に繰り返される、金色の、埃っぽい夕暮れ−それが樹木のない町の上に落ちかかる頃、男たち女たちが街頭へ流れ出る、あの夕暮れを思い浮かべてみる必要があろう。なぜなら、異様なことに、その時、まだ日の当っているテラスのほうへ立ち昇ってくるのは、普通に都市のすべてのさざめきをなしている車や機械の音というものがなくなってしまった結果、ただ鈍い足音と人声の巨大なざわめき−重く垂れ籠めた空の災厄の連枷の唸りにリズムを刻まれる数千の靴底の苦しげな軋めきだけであり、要するに、次第次第に町じゅうを満たしていった」」
大岡昇平「盗作の証明」p.386-387