2008-08-28 …カントが純粋理性の批判を試みたのも、 日本批評 「…カントが純粋理性の批判を試みたのも、この空無な場所に向かって開かれた、思考の不安で危うい存在を直視したからであり、思考の近代的な可能性のかたちを確保するためであった。」 内田隆三『ミシェル・フーコー』講談社現代新書 1990 p.33 34