…カントが純粋理性の批判を試みたのも、

「…カントが純粋理性の批判を試みたのも、この空無な場所に向かって開かれた、思考の不安で危うい存在を直視したからであり、思考の近代的な可能性のかたちを確保するためであった。」
内田隆三ミシェル・フーコー講談社現代新書 1990 p.33 34