都会は一時無政府の状況に陥った。

明治元年戊辰《ぼしん》の歳《とし》正月、徳川慶喜《よしのぶ》の軍が伏見、鳥羽に敗れて、大阪城をも守ることが出来ず、海路を江戸へ遁《のが》れた跡で、大阪、兵庫、堺の諸役人は職を棄てて潜《ひそ》み匿《かく》れ、これ等の都会は一時無政府の状況に陥った。」森鴎外『境事件』冒頭