日本の文化と藝文の思想はつねに開花であつた。

「日本の文化と藝文の思想はつねに開花であつた。花の思想−が天平より元禄の上方文人の頃までは、一つの系譜として発見される。月花の弄びではなく、観月であり、開花であつた。我々の思想では藝文は開花であり、魔術であり、奇跡であつた。日本の花の思想に於て、僕らは王朝の末期に後鳥羽院が當代の俊成、西行を通して撰ばれた一つの卓越した系譜を知つている。即ち飛鳥浄見原の朝、人麻呂を空前絶後の大詩人として始める系譜である。近世の芭蕉はこの血統を確証し、蕪村は芭蕉に於ける確証を感じた。「貫通するものは一也」と語つて西鶴の徒を批判した。世阿弥、光悦、宗達と継がれ、秋成、真淵と傅つた。」

保田與重郎
「開花の思想」
保田與重郎全集第四巻』p.311