彼女達のうへに暗い大きな不幸を感じたのは私の誤りであつたらうか。


「この歌を作った人は誰であるか、私は知らない。ただその作者の支配階級意識に驚歎した。そしてこの歌を嬉々として歌ふ少女たちを涙なくして考へることはできなかつた。天恵うすき島に盲人のごとく生まれて、西も東も知らなかつた。この民族の悲劇は、スペインに占領されドイツに譲渡され、さらに日本の統治を受ける、この事実だ。しかし私は疑ふ、この少女達にかくも悲惨な民族の悲劇を
教へ自覚させる必要があるだろうか。、かういふ侮蔑的な歌をうたはせて恩に着せる必要がどこにあらう。合唱が終わると校長先生は解散を命じ、少女たちは一斉に運動場へ駆けだして行つた。彼女達のうへに暗い大きな不幸を感じたのは私の誤りであつたらうか。一人の少女は私のまへを走りすぎるとき、両手を振りまはしながらまだうたつていた。天恵うすきこの島に、盲人のごと産れきて……。」

石川達三
『赤虫島日誌』1943

パラオ公学校高等科の少女が歌う唱歌「天恵うすきこの島に、盲人のごと産まれきて、西も東も知らざりし、我等が目にも日はさしぬ。みなまなびやの賜ぞ、あな嬉しやな、楽しやな」を聞いて。