テクスト性の概念は、世界を、言語的テクスト、書物、伝統、批評、教育に還元することを意味しない

「テクスト性の理論家たちは、マルクスを世界(歴史および社会)の理論家として、また労働と生産-流通-分配の力のテクストとして読む。そしてフロイトを、自我の理論家として、意識と無意識のテクストとして読む。このような、人間のテクスト性は、世界と自我として、つまり他者の自我と戯れ、表象を生み出す自我という見地から見て、世界の表象として理解されるばかりでなく、完全に「間テクスト性」に包含される、世界と自我のうちに存在するものとしても理解される。この点から次のようなことが明らかとなろう。すなわち、そのようなテクスト性の概念は、世界を、言語的テクスト、書物、あるいは書物によってかたちづくられている伝統、狭い意味での批評、そして教育に還元することを意味しないのである。」

ガヤトリ・C・スピヴァック(鈴木聡、大野雅子、鵜飼信光、片岡信訳)「フェミニズムと批評理論」
『文化としての他者』紀伊國屋書店、1990 p.69-70