気づくというとき、そのはやさはある境界の内にある

「気づくというとき、そのはやさはある境界の内にあるはずのものだ。気づきの本質からして、境界をこえてはやければ、過程のすすみ自体をさまたげるだろう。また境界をこえておそければ、気づき自体が無意味になる。この気づきの境界はずっと以前には、はっきりと自然がすすむはやさのことだった。」

吉本隆明
「1 気づき 概念 生命」『言葉からの触手』
河出文庫 p.10