エンピで溢れる世に幸あらんことを, 2012/1/20

マキシマムザホルモン アルバム『耳噛じる』レビュー】

アルバム【耳噛じる】


8曲目【人間エンピ】 序論

人間エンピ(4:00)
作詞・作曲:マキシマムザ亮君

「エンピーバリア!」
汚いもの、触りたくないものでも、エンピがあれば大丈夫。

エンガチョ、ビビンチョ、ビンチョなどとも呼ばれるが、おもに子供が使う囃し
言葉であり、
まじない・呪文的な言葉とされる。さらに、指先や身体を使ったジェスチャー
加えることで、
エンガチョはより強い防御力を発揮することができる。

「糞便を踏む」「便器に触れる」など、汚いものに触れた誰かを目撃した瞬間、
エンピは突如始まる。不浄なものに触れた者は、その不浄を別の第三者にこすり
つけることで、
その穢れから解放されるのだが、その第三者が「エンピ」と叫ぶことによって
不浄のものを防ぐことができるのだ。

「穢れを防ぐ行為」は古くから見られるが、子どもに限らず、霊柩車が通るときに
親指を隠すような仕草もエンピの一種であろう。

エンガチョの場合は「エン」穢・縁をチョン切るという説や、「因果の性」イン
ガノショウが
訛ってエンガショウになったという説があろそうだ。因果=いんが=ゑんがという
わけだ。

なんらかの因果を断ち切るべきエンピ(エンガチョ)だが、周りが全員この呪文を
唱えた場合、
汚れは誰にも移すことができず、その子が鬼を保持することになる。 これを
きっかけに、
子供同士の場合は鬼ごっこ遊びが始まるケースもある。

因果を何らかの悪業とした場合、はたして、縁を切るのはこちらからなのか、
エンピして孤立するのは相手か自分なのか。

エンピするのは人間、また人間はエンピされるべき存在、
悪い人間をエンピする人間、悪自体ををエンピする人間たち

たしかに1枚目のアルバムというだけあって、この曲は粗い。

しかしながら、何かをエンピする/されることの意味を問いかける人間存在の
本質をつく楽曲となっている。

穢れの感染を防ぐための特別な仕草としてのエンピ、
呪詛のコトバ…エンピ、鬼を作り出すシステムとしてのエンピ、

胎児は母体をエンピし、乳児は乳をエンピする。
子どもは親をエンピし、その子は自分の子どもにエンピされる。

「マザーファッカー」

いまやエンピの対象はひとつではない。

「戦争、薬丸、犯罪・・・」
「軍隊 戦場 歴史の闇…」
「残虐 自殺 震災の灰…」

あらゆる悪に、あらゆる災厄にエンピする!

子どもたちにとって穢れを祓うそぶりとして始まるエンピが、次第に鬼ごっこ
なるように、
穢れを避ける仕草としてのエンピは、次第にその対象を無効化する。

「気付け」エンピバリアーは祈りなのだ。

誰も死んだりしないように…