早熟という言葉が乳臭く思われるような一人の完成した大人

江藤淳氏の『夏目漱石』を読む度に、私が感じるのは、ここで自らの言葉を語り始めたばかりの二十二歳の青年は、まったく完璧な「大人」だ、という事だ。氏の処女作の中に立っているのは、早熟という言葉が乳臭く思われるような、一人の完成した「大人」の相貌である。現在三十を越えた私にとって、たとえこれから何十年生きようと、けして成る事が出来ない、あるいは現在の世間には何処を探しても居ない「大人」が、そこには居る。」

福田和也
江藤淳という人』新潮社 2000 p.12