金子みすず 『わたしと小鳥とすずと』
「 わたしが両手をひろげても、
お空はちっともとべないが、
とべる小鳥はわたしのように、
地面(じべた)をはやくは走れない。
わたしがからだをゆすっても、
きれいな音はでないけど、
あの鳴るすずはわたしのように
たくさんのうたは知らないよ。
すずと、小鳥と、それからわたし、
みんなちがって、みんないい。 」
金子みすず
『わたしと小鳥とすずと』
いいと思う。
いいとは思う。
この詩を批判するような立場にもないけど、
「みんないい」の判断を下す基準が、
他者より劣る自分を認め、他者を自分より低いものとみなすところにないか。
自分が基準になるのはしょうがないが、
自分の存在を中心に円を描くように他者を想定するのは危険。
小さいヤツもいれば、デカいヤツもいる、
いたヤツもいれば、いなかったヤツもいる、
いたかったヤツも、いたくないヤツもいる、
いてほしくないヤツも、こっちをいてほしくないと思ってるヤツも、
ヤツと呼ばれたいヤツも、呼ばれたくないヤツも、
ヤツとよべないヤツだって、いないヤツもいる
彼らと比べて自分がこうなんだ!
というよりは、
そんななかに自分も居るんだ。
そう思うこと。
それが「みんないい」ってことじゃないかな。