身体抜きの精神として「私」は自立してしまうわけ

「哲学は、


十九世紀までは、


カント、ヘーゲルに見られるような


純粋自我の洗練化に


向かっている。


何度も述べてきたように、


デカルトの素朴な「私」から、


カントのようのように


超越論的自我になり、


ヘーゲルの絶対精神になり、


フィヒテのように


本当に「私(Ich)」という


存在こそが根源であるといった、


完全に


身体抜きの精神として


「私」は自立していってしまうわけである。


人間が神であれば


それでよかった。


だが、残念ながら、


それが身体性によって


裏切られる、


というところに


大きなドラマがあるわけである。」

黒崎政男
『身体にきく哲学』NTT出版 2005 p.53

----------------------------------
♪いま聴いている曲はコレ♪【おすすめCD】
間テクスト性について知りたい方はコチラ
マンガも偏って読んでます。
『ジョジョの奇妙な冒険』
【伝記グルーヴ】テクスト礼讃
読んだ本を記録してます【読書メーター】
----------------------------------