身体抜きの精神として「私」は自立してしまうわけ
「哲学は、
十九世紀までは、
カント、ヘーゲルに見られるような
純粋自我の洗練化に
向かっている。
何度も述べてきたように、
デカルトの素朴な「私」から、
カントのようのように
超越論的自我になり、
ヘーゲルの絶対精神になり、
フィヒテのように
本当に「私(Ich)」という
存在こそが根源であるといった、
完全に
身体抜きの精神として
「私」は自立していってしまうわけである。
人間が神であれば
それでよかった。
だが、残念ながら、
それが身体性によって
裏切られる、
というところに
大きなドラマがあるわけである。」
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