茸としての音楽は、かつて

「…アイヌムックリも、ピグミーの葦笛も、オーストラリア・アボリジンのブルローラーも、ンデンブの太鼓…からはただ、なにもない空間にたくさんの切り口を彫り込んでいったり、無数の小さな音の渦巻を作り出したり、流星のように現われたかと思うとふっつり消えていく音の粒をばらまいたりするだけの音楽が聴こえてくる。茸としての音楽は、かつて地球上いたるところにその胞子を散布していたのだ。」
中沢新一『雪片曲線論』青土社 1985 p.11